コジローに糖尿病治療を始めて4カ月近くになる。家で朝晩の12時間おきにインスリンの注射を打っている。ときどき動物病院に連れて預け、血糖値を測ってもらい、注射液を増やしたり減らしたりする。一進一退で回復しない。
治ることはないのだろう。15歳の老齢で、目は白内障、耳もあまりは聞こえないようだ。足腰も弱ってよろけたり転んだりする。食欲があるのが救いだ。うずくまって寝ていることが多いが、20分ぐらいの散歩はできる。
寒さが厳しくなってきたので、なるべく暖かい室内に置いてやりたいが、水分補給をしながら座敷や廊下、リビングでオシッコをするから困る。夜はさすがに家に入れ、寝る前に一度外に出してオシッコをさせ、室内のケージで寝かせるが、昼間るすにするときは家の裏手に出す。引っ越してから犬を放すには北向きのスペースしかなく、日当たりが悪くて体にこたえるだろう。犬小屋を用意して毛布を敷いているが、クマゴローが独占して、コジローは入りたがらない。
2匹をかわいがっていた娘が、年末には一時帰国するので、それには間に合うが、遅かれ早かれいずれ時間の問題だろう。忍び寄る死の影を、犬はどう感じているのか。
よい一生だったとか、まだやり残したことがあるとか、死ぬのが怖い、あの世はどんなところかとか――まさかそんなことまで思っていないだろうが、象は自らの死を察知して死地に姿を隠すとも言われる。犬は人間の3歳ぐらいの知恵があると聞いたから、最近どうも調子が悪いなぐらいは感じているに違いない。糖尿病が進行すると精神異常を起こすこともある、と獣医師から聞いた。
看護する私のほうも、朝晩の注射、寒さ対策、食欲チェック、オシッコ配慮など長期化するとだんだん気疲れがしてくる。忘年会に出かけるとちょうどよい気晴らしになるが、酒を飲んでいてもついどうしているか気になる。
相手が人間の場合ならどんなに大変だろうと思う。親の介護でそういう話をよく聞くが、大変でも、生きている間にできるだけのことをするのが、死んでからできなかったと後悔するよりも、心残りがなくていいだろう。