週刊コラムニスト(過去ログ2010年)

年末年始のスケジュール
2010/12/31

 12月28日は仕事納め。午前中、開発ミーティングに出て、部屋に戻ると未決の棚に書類がたまっている。来年度計画は休み中に片付けなければと予定していた分に、あれやこれやと指示しておいた分がさらに上乗せ。年末を提出期限にしたものがこんなにあったっけ。やれやれと思っていると、あちこちからさらに追加。メールにも回答しなければ。午後から大掃除で、3時半に早めの終業となり、みんな「よいお年を」と晴れ晴れした顔で帰って行くが、こっちは休み中の仕事の割り振りを組み立て直す。

 ともかく休暇初日は朝から出社してと思っているところへ、取引先から訃報が入り、翌日の12時半から告別式。1日の真ん中を分断されるので、また予定を変更し、うちに仕事を持ち帰って29日は在宅勤務。

 30日は高校の同窓とのゴルフコンペで、これは前から決まっていた。息抜きにするつもりだったが、20人中最下位で気分転換にもならない。前日にカミさんのコーチ直伝のアドバイスを聞いてコースで試してみたら収拾がつかなくなり、言い訳したら同じ組のメンバーに「奥さんのせいにするな」とたしなめられた。その日の夜、東京から姉夫婦が来ていたので母やカミさんも加えて外食すると、食事中の私の話がカミの癇(かん)に障ったらしく、あとで機嫌が悪い。

 仕事はまだ3分の1も終わっていない。大晦日は朝から出勤すると昼過ぎにケータイが鳴って、定食屋経営の小学校の同級生が「おせちができたからそろそろ取りに来い」。毎年の恒例で、何人かにおすそわけしてくれるのだが、ことしはカミさんに行ってもらうしかない。「仕事中なんで」と言うと、「仕事だかなんだか、分かったもんじゃない」と本気にしなかった。

 予定した仕事は31日でやっと6割ぐらい片付けたが、まだ大モノの5カ年計画が控えている。仕事をしているとまた新しい仕事を思いつくので始末が悪い。そういえば、1月22日には子供たちの企画でファミリーコンサートを開くことになり、私もフランク・シナトラを1曲歌うことになっている。会場を借りて客も呼ぶから、歌詞を覚えて練習しておかないと、失敗したらかなりへこむよと娘に脅かされている。

 すっかり忘れていたが、今では古本屋でも手に入らない吉川英治の「新・平家物語」13巻を貸してくれる人がいたので、この正月は、ぼちぼち読み始めようと思っていたが、これではどうにもならない。

 すべて自業自得なので、文句を言う相手もいない。

サプライズ バースデイ
2010/12/17

 カミさんが還暦を迎えるので、誕生日にお祝いをしようと子供たちが言い出した。人間、ボーとしていてもその歳になればだれでも還暦になるのだから、別に騒ぐほどのことでもない。家族で集まってすきやきでもやるかい、と思っていたら、フランス料理のフルコースがすでに予約済み。それぞれプレゼントを用意するからお父さんも、と娘に財布持参でデパートに来るよう指示された。

 「お母さんには内緒だよ。サプライズだからね」と注文が付く。なんだか大げさになるなと感想を漏らしたら、お父さんが還暦のときはなにもしなかったから、ひがんでいるんだよ、と長男が言ったらしい。バカ言え、いい歳をしてひがんだりするか。

 1階のハンカチ売り場で待ち合わせだったので、スカーフでも買わせるのだろうと思ったら、ブランド物のバッグにしたいらしい。そんなに持ってきていないよ、と言ったら「えっ! じゃあクレジットカードは? うん、持ってるならいい」。どこのボッタクリバーのホステスだ。

 4階に上がってプラダだのセリーヌだのの店をめぐり始める。私は、娘の後を付いて歩くだけで、どれがいいのか全然分からない。

 「あっ、お父さん、なに、そのよれよれのコールテンのズボン」と娘が気が付く。たしかにこのズボンでフカフカのじゅうたんの上を歩くのはちょっとヘンだが、私は別に気にしない。ただ、一緒に見て回ってもなんの役にも立たないし、すぐに退屈になったので、喫茶室で時間をつぶしている間に、選んでおいてもらうことにした。2、30分だろ、と言ったら、1時間はかかるんだそうだ。やれやれ。

 8回の喫茶室の窓から駅前の風景をぼんやり見下ろしていたら、ようやくケータイが鳴った。さて、と腰を上げて候補のバッグを4、5店見て回ったが、バッグなんていくつも持っているのにまだいるのかね、という気になる。ダイヤモンドのネックレスもひとつ選んだ、と言うのでそっちへ行ってみると、ハナクソほどの小さなダイヤで、叶姉妹が見たら鼻で笑われそうなのに値段がバカ高い。

 そこでひらめいた。宝石のネックレスにしよう。日も暮れてきたので、さっさと宝石売り場へ上がる。サファイアやアメジスト、パールもあったが、ひと目でこれだと決まったのがオパールにプラチナチェーンの一品で、バッグより高かったが、めでたくお買い上げとなった。

 翌日が誕生日。カミさんは長男が贈った上着を着用。家族6人でシャンパンやワインを飲みながら食事をし、コースがひと通り終わったころに、3男が用意しておいたエンジ色のバラの大きな花束を娘がジャーンと出す。続いて私が隠し持ったリボンつきの包み紙を出したが、カミさんは花束に気を取られ、しばらく気が付かない。目の前でブラブラさせたらようやく気付いて包みを開け、感激のあまり涙ぐむ。

 泣くとは思わなかったが、3男が余計なことを言う。「滅多にプレゼントしない人が贈ると効果が大きいな」。そらまあそうだけど。

夫婦は同好の士になれるか
2010/12/10

 夫婦で同じ趣味、なんて言うと見ていてほほえましいものだが、実際にはなかなかうまくいくものではない。

 ゴルフ場で、喧嘩をしているのがいたら夫婦で、仲のよいのは愛人関係というが、ほんとにそのとおりなのだ。最近2度ばかりカミさんを連れて友人と一緒にコースに出かけたら、2人の友人が2人とも「ウチのやつにも進めたんだがだめだった。ああしろ、こう打てと教えているうちに喧嘩になって、もう2度とやるもんかって。それっきりだよ」とうらやましそうに言う。コース途中で私がカミさんに「アドレスが右を向いているよ」とか「バンカーショットはクラブを振り抜かないと」とアドバイスすると「やめとけ、やめとけ」と止めに入る。

 私とカミさんとは、彼らがうらやましがるような仲むつまじい夫婦ではない。コースでは何度か大喧嘩になった。それでも一時は、本人が夢中になってゴルフスクールに通っていたが、3年ほどしてパタリとやらなくなった。熱しやすく冷めやすいミーハーのケがあり、今は英会話教室にせっせと通っている。

 会社のコンペにも連れて行き、女一人では具合悪かろうと取引先の専務の奥さんを誘い出し、その奥さんはいつも来るのにカミさんが出なくなったいきさつがあるので、今度はこっちが具合悪い。あきらめずに誘っていると、近ごろようやく重い腰を上げて少しやる気になったが、プレー予約当日まで行くだの行かないだの、調子が悪いだの雨が降ったらやる気がしないだのと、連れ出すまでが大変だ。

 こっちがキレそうになるのを我慢して、コースに出たらなるべく褒める。スコアが悪いのは私のせいではないが、「スクールで基礎ができているから、ちょっと続ければすぐに10や15は上がるよ」と元気付ける。

 実際、私よりカミさんの方がスイングはきれいで、私のショットを見ては「笑える、笑える」などとうれしそうに言う。それでもパットが冴えてなんとかしのいでいると「野球の代打でバントする人みたいに、だれかの代わりにパットだけさせてもらえるといいね」と自分の思い付きが気に入ってまたウフフと笑う。遠くから見たらさぞ楽しげな夫婦に見えるだろう。

 ことほどさように、夫婦で同じ趣味を続けるには涙ぐましいほどの努力がいる。しかし、ゴルフは知らない人とやるのは気詰まりだし、うまい人と一緒も気を遣う。ひとりでやっても全然面白くない。ならばやめればよさそうなものだが、たまに会心のショットが出ると、眠っていた才能がついに目覚めたかと喜んで、いつも騙される。この先長く同伴してもらうには、カミさんしかいないのが痛しかゆしというところだ。


わさびもどきに偽ビール
2010/12/2

 平日の朝、私は7時前に起きてコーヒーを沸かし、朝刊を読む。夏はもっと早いが、寒くなると目が覚めても布団の中で、役にも立たない考え事をぐずぐずとめぐらす。

 着替えて新聞を読みながら7時になってもカミさんが起きてこないと、おーいと声をかける。早いときは7時半、遅くても8時前には出勤する。

 カミさんが飯を作る。焼き魚や納豆の時もあるが、手早くハムエッグや野菜炒めなどを作ってのパン食が多い。けさはキャベツの千切りとハムが出てきたので、これをトーストに乗せてマヨネーズとマスタードで味付けした。このマスタードが全然辛くない。

 「なんだい、このからしは。これでもからしのつもりかい」とからしに文句をいってやったら、「マスタードと和がらしとは違うんだよ」と、カミさんが横からマスタードを弁護する。「だって辛いからからしと言うんだろ」「あんたも単純な人だね。マスタードは香りを楽しむもんなんだよ」。カミさんがなぜあっちの味方に付くのか分からないが、こうなると負けてはいられない。「じゃあ、辛くもないのになんで西洋がらしなんて呼ぶんだ。訳語を付けたやつが悪い。いいかげんなことをするやつだ」。と言ってみたところで、訳者がだれか分かるわけでもない。

 あとで調べてみたら、和がらしは、カラシナの種を粉にしたもので「辛し」の意味から名付けられた。マスタード、つまり西洋がらしは、シロカラシ、クロカラシの種から作り、カラシナとは別物らしい。そうら見ろ。

 そういえばわさびも同様だ。本物のわさびは学名をワサビジャポニカと言い、日本の原産、特産だが、練りわさび、粉わさびに使われる原料は、西洋わさび、またの名をわさび大根と呼ばれるもので緑色に着色してある。わさび独特の香りもなく、刺激も弱い。こういうものはわさびと呼ばずに、遠慮してわさびもどきと言うべきだ。

 クルマを運転してパーティに出ると、アルコールが飲めない。ウエイターに「お飲み物は」と聞かれて「偽ビール」と答えると、相手はとっさに意味が飲み込めずにけげんそうな顔をする。ノンアルコールだなんて回りくどいごまかし方は往生際が悪い。

 こんなことばかり言っていると、人に嫌われるだろうな。


イヌ、ネコ、コイの扶養主
2010/11/26

私の友人に大変な愛犬家がいる。

ラブラドールを1頭飼っているのだが、夏でも冬でも朝6時に起きて近所の公園に連れて行き、1時間遊ばせてから戻り、朝食後出勤する。夕方5時に仕事が終わるとそそくさと帰宅し、また公園へ1時間。夜は自分のベッドの横に寝床を作ってやり、ベッドの上と下とで一緒に寝る。食事は手作りで、ニンジン、キャベツ、レタス、リンゴなどを細かく切って、ドライフードに混ぜて与える。ニンジンは火を通す。

親子5人、多少の心配事はあるが円満な家庭があり孤独なわけでもない。寡黙な方だから、なんでそんなにイヌ好きなんだと聞いても、子どものころからイヌを飼っていたからな、と言うぐらいでその話題は終わってしまう。なんにせよウチのイヌは庭に放し飼いで、夜は寒い季節になると室内のケージに入れてやるが、散歩は2週間に1回ぐらいしか連れてゆかない。同じイヌでも飼い主によってかなり境遇が違うものだ。

ところで、彼が毎日行く公園に最近、捨てネコが2匹住み着くようになった。腹が空くだろうと煮干をひと盛りやると、すっかりなついてしまった。彼が現われるのを待っているので、毎日煮干を運ぶ。イヌとネコは、お互いクンクン匂いを嗅ぎあう知己の仲になった。

どういうわけかこのネコは、煮干の頭だけ残す。公園を汚してもいけないので、これを拾って帰る途中、池と池を繋ぐ疎水にいるコイに与えてみると、これがまた喜んで食べる。それからは、煮干の頭と胴を別々に用意して分け与えるようになった。

まるでディズニーの映画にでてくるようなやつだ。イヌ、ネコ、コイの扶養主ともなれば、風邪を引いたぐらいでは、散歩をサボるわけにもゆくまい。しかし、よくしたものでこの公園には5、6人の愛犬家がイヌを連れて集まってきて、自然に仲間になり、時々呑み会を開いている。今度、みんなで忘年会を開くことになったらしい。自分が公園に行けない時があったら、ネコとコイの餌を頼んでおくとよい。


人それぞれの疲労回復
2010/11/20

 クラッシックファンのカミさんと一緒に、今年の春から名フィルの定期演奏会に出掛けるようになった。行こうと言い出したのは私の方だ。私は音楽より芝居の方が好きだが、多少はカミさん孝行しておかないと亭主の扱いがだんだん粗末になる。

 だから、コンサートに行っても途中で飽きてきて、退屈しのぎに観客や演奏者の観察を始めるのだが、これが結構面白い。ここのコンサートホールは、ステージの向こう側の高いところに巨大なパイプオルガンがはめ込まれ、その下に3、4列100席ほどが用意されている。パイプからぶら下がった干し柿のように並んだ観客を、こちらから観察するのにちょうどよい。

 この100人の中に、いつ行っても大抵5、6人は居眠りを始める客がいる。背もたれに仰向けになって口を開けている人、こっくり、こっくり舟を漕ぎ始める人、席からずり落ちそうになる人、いや実に十人十色。

 このさまを最も近い位置で見ることになるのが指揮者だ。「噺家(はなしか)殺すに刃物はいらぬ。あくび3つで即死する」という冗句があるが、目の前で自分の指揮に居眠りされるのはどんな気分だろう。

 名誉のために言っておくが、この日の井上道義の指揮は素晴らしかった。特に1曲目のベートーベンの「序曲コリオラン」は、指揮棒を持たず体全体で感情移入した力演で、それこそ彼の芝居か踊りを見ているようだった。カミさんなどは、あの向こう側の席からなら、井上の表情までよく見られたのにね、と残念がったほどだ。ま、心地よく夢路をたどらせるほどの名演奏という理解のしかたもある。

 2曲目の「レニングラード」は、ショスタコービッチがナチス・ドイツに包囲されたレニングラードに残って書いた作品で、いかにも社会主義リアリズムという趣きがある。これに先立つ交響曲を発表した時には随分酷評や批判を受けており、スターリン時代の作曲家としてはいろいろ配慮もしなければならなかったのだろう。

 それでも私には楽しみ方があった。騒々しい曲が止んで、楽章と楽章の間の静寂のインターバルに入ると、熟睡していた人たちが「ん、なに? どうしたの」といった面持ちで、もぞもぞと目を覚ますのだ。

 居眠りしに来るぐらいなら、来なきゃいいのに、と思う向きもあろうが、いいじゃないか、現代人は疲れているんだ。疲れの取り方もいろいろある。


隠して、すり替えて、生き残れるか
2010/11/11
 尖閣諸島沖での中国漁船衝突の映像流出事件で、政府がまた醜態をさらしている。これは国家公務員による守秘義務違反にあたり、厳正に処すべきだなどと言うのも、問題をすり替えて野党の攻勢をかわし、わが身を守ろうというコンタンだからだ。実際、海上保安庁長官や国土交通大臣のクビを取られ、官房長官、首相の責任まで追及されることになれば、政権維持も危ない。

 映像が漏洩したことが問題なのではない。事件は映像流出以前に周知となっており、1972年に沖縄返還をめぐる日米密約をすっぱ抜いた西山太吉元毎日新聞記者の場合とは異なる。パンツを穿(は)いてないのに穿いているとも穿いてないともはっきり言わず、横から穿いてないでしょとはっきり言われて、自分の恥ずかしい秘密を暴露されたと逆ギレしているようなものだ。西山事件の時も、密約よりも男女のスキャンダルとして問題の焦点をすり替え、処理された。

 問題は、なぜ政府が自ら映像を公開しなかったかという謎にある。その説明がいまだにない。漁船の乗組員の拘束までは日本の姿勢も毅然としていたが、そのあとの中国の矢継ぎ早の反攻に翻弄された。船長が拘置された翌日には東シナ海のガス田開発の交渉を打ち切り、その翌日には駐中日大使を呼び出して乗組員の即時送還を要求、船長を除く乗組員を帰してしばらくは動きが止まったが、船長の拘置延長を決めると、フジタの社員4人を拘束して報復、さらにレアアースの輸出を止めた。日本政府がオロオロして船長を釈放すると、中国はこれ見よがしに英雄として船長の帰国を迎え、謝罪せよと追い討ちをかけてきた。

 居直る相手に一方的に押しまくられ、映像を公開すればどんな目に合わされるか知れないと怯えたとしか思えない。映像の封印が日本の国益になると考えたのだろうか。ひょっとすると水面下で、公開しないと約束させられていたのかもしれない。それならなおさら公開しない説明などできないわけで、なるほどと妙に合点がいく。

 はっきりさせないから憶測が憶測を呼ぶ。映像に映った衝突直前の乗組員の落ち着きぶりは、だれが見ても異常だ。平然とタバコをふかしているやつもいた。あれは最初から衝突事件を起こして尖閣を奪い取る任務を帯びた工作船だったと見る線も真実味がある。そもそも“衝突”ではなく明らかに当て逃げだが、政府が煮え切らないから“衝突”のままになっている。相手の作戦はまんまと成功した。日本の弱腰を見透かした中国は、今度は反政府活動家のノーベル平和賞の授賞式に出席するなとまで言い出した。アホかいな。

 “船長”の釈放は、2001年の金正男不法入国での厄介払いお引取り処理を思い出させる。海上保安官への問題転嫁は、2004年のイラク武装勢力による高遠菜穂子らの誘拐事件での“自己責任”バッシング化を思い出す。政治家が国民の生命財産よりわが身の泳ぎ方を優先するこの国の外交には、見識というものがまるでない。外交の失態を国内の個人問題にすり替えるやり方は、内政に不満が高まると反日感情を使って外交でガス抜きさせる中国のすり替え方と正反対なのも、皮肉な話ではないか。

ばあさんの勝ち

2010/11/4

   母の家の修理を頼んだ建設会社の、工事手配担当の係長から相談を受けた。他の修理とともに、大雨が降ると樋に集まった雨水があふれるのでそれも直して欲しいと母に頼まれたが「樋の下には雨水を受ける流し口がない。近くの下水桝まで樋を延長するしかないが、材質は何にするか」というものだった。母のいいように決めてもらえばよいと言ったが、少々耳が遠いので私と話した方がと言う。私は現場の状況が分からないから、ではそれを見た上でと答えた。

 翌日、問題の樋を見ると、屋根に降った雨を庇沿いに受けて家の角で集め、すっとタテに降りているが、地面近くで半分カバーがしてあり、中がどうなっているかよく分からない。半分というのは、この辺りがちょっとややこしく、樋に沿って脇垣が立っており、垣の向こう側は濡れ縁がせり出している。

 ともあれ、このカバーを外して手前から見たり、垣の向こう側に行って濡れ縁の下に入って覗いてみたが、たしかに流し口はなく地面が見える。なんでこんな庭への垂れ流し式にしたのだろう。

 そんなはすはない、と母が力を込めた。わざわざ樋で雨水を集めておいて、その先に流し口がないなんて。

 言われてみればそうだ。第一この、小学生の工作のような、半分だけ切り貼りしたカバーはなんだ。この家はかなり古く、銅製の樋が腐食したので10年近く前に取り替えてもらっているが、その施工をしたのも同じ建設会社だった。

 樋の下の地面をドライバーで2、3度つついてみると、スポッと入った。ん?と思って土を掻き出すと、ゴミが引っかかるように桟の入った受け皿が姿を現わした。泥が堆積して塞いでいただけで、雨水を受ける流し口がちゃんとあることが分かった。

 なっ、言った通りだろ、と母が得心する。「そんなはずがない。あの担当者は、どこやらちょっと頭がポーでな。気に入らんけど今どきはこんな人しかおらん。ちょっと頭を使えばええのに、それをせんのや」。ともあれ、係長を現場に呼んで仕切り直しとなる。

 この会社は年商120億。官公庁からも受注するそれなりの会社だが、母に子ども扱いされても、グウの音(ね)も出ないことだろう。

 94歳のばあさんの勝ち。


無呼吸症候群2
2010/10/29

  まず戸惑ったのは、その髪型だった。まだ若いのに弱々しい髪を栗色に染め、頭のてっぺんで整髪料で固めてツンと立てている。薄いもみ上げをなんとか髭と繋げてあごの辺まで延ばしているから、帽子のあごヒモのように見える。歯科医が茶髪にしてはいけない規則はないだろうが、こんな歯医者は初めて見た。

 次にインフォームドコンセント。ぺらぺらとよく説明するのだが、言っていることがよく分からない。たとえば「これから作るマウスピースは、6カ月以内に作り直すと保険が利かないので、大事にして入れ歯と同じ扱いをしてください」というが、私は入れ歯でないから扱い方など知らない。第一、なんで短期だと保険が利かないのだ。うっかり壊したり紛失したりすることもあるだろうに。

 「外国語が話せると無呼吸になりにくい」という説明には驚いた。私、英語を話せますがと言ったら、「アメリカ英語ではダメです。イギリス英語でないと。巻き舌を使うスペイン語などもいい」などと言う。舌の活性化によいという意味だろうが、だからどうだというのだ。無呼吸を治す目的でスペイン語を習い始める人がいたらお目にかかりたい。

 下あごをできるだけ前に出して型を取ることになった。このマウスピースで矯正すると翌朝は固いものが食べられず、夕方まであごが痛くなる人もいるという。気道を舌で塞がないようするためなのは分かるが、そんな無理をしてそもそも眠れるのか。どうもこの茶髪は信用できない。

 3回通ってマウスピースができたが、朝起きてあごは痛くもならず、その代わり効果はまるでない。無呼吸の専門医に手紙を書くのでもう1回来るように言われたが、なんのための手紙なのか、その手紙をなぜ3カ月待ってから持って行くのかも説明がない。面倒だから聞くのをやめた。聞くとよけいワケが分からなくなる。それに、あのワキガはなんとかならないか。歯医者も接客業だろうに、患者の歯を治す前に、自分のワキガを治してもらわないと。

 近ごろは医者不足が深刻なのに、歯医者だけはやたらに増えて佃煮にするほどいる。国家試験が簡単なのか、経験不足でも開業が容易なのか。粗製乱造すれば当然こうなる。そういえば、4回の通院中ほかの患者に出会ったのは一人だけだった。

 さてこのあと、私はどうすればいいのだろう。(おわり)


無呼吸症候群1
2010/10/23

 
 朝早く目が覚めるのは歳のせいだと思っていたが、熟睡した感じがなく、昼間眠くて居眠り運転をしそうになったりする。睡眠中いびきもかくというから、これはひょっとして無呼吸症候群かもと思い、矯正経験のある友人の紹介で専門医に診てもらうことにした。

 いびきは、睡眠中に舌ややのどの筋肉がゆるみ、気道(空気の通り道)が狭くなって起きる。完全に塞がって窒息状態になると無呼吸になる。

 予約をしてクリニックを訪れると結構混んでいる。無呼吸は気道が塞がりやすい肥満の人に多いと聞いていたが、見渡すとたしかにかなり目立つデブが何人もいて、笑ってしまいそうになる。もっとも痩せていれば大丈夫かというとそうでもなく、あごや鼻腔など顔の骨格によっても影響があるらしい。

 初診では口腔のレントゲン撮影や採血など予備検査をあれこれして、次回はクリニックの個室にひと晩泊まって、睡眠中の脳波、呼吸、心電図などを記録するポリグラフ検査をすることになった。頭や体に30本だか50本だかのセンサーをつないで、別室で係りの人が夜通し起きてデータ取りを監視する。そんな環境で眠れるかと思ったが、酒を飲んだ上、睡眠導入剤を使ったらすぐに眠れた。

 結果は無呼吸が1時間に平均9.4回、最長で40秒だった。友人の場合は、最長で86秒というから、それに比べればマシだが、対処をすることになった。ひどくなると心筋梗塞や脳卒中の引き金にもなるらしい。対処のしかたにはいろいろあって、軽度なら横向きに寝るだけでも効果があるが、友人のように重度になると強制的に空気を送り込むマスクをして就寝する。私の場合は中度だから、マウスピースで気道を広げて寝る方法を試してみることになった。

 マウスピースはこのクリニックでは作れないので歯科医に回される。いくつかの歯科医院リストの中からひとつ選ぶと紹介状が用意された。ところがこの歯科医がなんとも珍妙だった。(つづく)


憂国
2010/10/16

 
 前回のブログを掲載してから3カ月休んだ。どうしたんだ、更新を待っているのに、などとちょいちょい言われ、体の具合が悪いのか、と心配してくれる人まで現われた。

 それは申し訳ない。相変わらずよく食い、よくしゃべってはいるが、すっかり書く気がなくなっていた。実にこの3カ月を振り返ると、民主党は難問山積の国政をほったらかしにして、役者も揃わぬ代表選にうつつをぬかし、大阪地検特捜部は証拠を改ざん、隠滅して犯罪者を仕立て、開いた口が塞がらないと思っていたら、尖閣諸島沖の衝突事件での卑屈な外交を見て、愛想が尽きた。もはやこの国は誇りを失い、主権の自覚もなく、国としての体(てい)をなさなくなった。この分だと右翼が腹を立てて抗議行動を起こし、首相官邸前で割腹自殺を図る奴も現われるのではと思ったが、近ごろ右翼も行儀がよくて穏やかなものだ。

 脅せば屈服すると強権的に押し込んでくる中国も業腹だが、脅されて縮みあがり、証拠のビデオも公開できず右往左往するこの国も醜態だった。それを見てか、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土訪問を計画し、ご遠慮くださいと弱々しく頼むと余計なお世話だと叱られた。こんな弱腰では韓国相手の竹島も危ない。

 ちょっと明るいニュースといえば、日本人のノーベル化学賞受賞があり、日本中がわがことのように「日本人、日本人」と湧いたが、根岸英一さんは30年も前にアメリカに渡った頭脳流出組。日本では活躍の場に限界を感じたイチローと同じ心境だったのではなかったか。

 中国が元安、韓国がウォン安の圧倒的有利を背景に国際経済の場で弾みをつけているのに、日本の円だけが異常に吊り上がり、単独介入すれば怒られ、協調介入を申し出ればにべもなく突き返された。いまや“気弱な金持ち”日本は、世界のいじめられっ子の役をあてがわれ、能もなく迷走を続けているうちに、いずれ食いつぶされることになる。

 まだ望みが残っていればこそ、憂国のブログも書く気になるが、この3カ月はこの国にあきれ果てて見切りをつけたい気分だった。四季折々の花鳥風月、山紫水明の気候さえ、この夏は猛暑とゲリラ豪雨でぶち壊された。

 しかし、昔はもっとマシな国だった、などと繰り言を言うと、年寄りの愚痴になってしまう。まだ隠居するわけにはゆかないので、気を取り直してもう少しがんばってみよう。


アホさかげん
2010/7/22

 
 このところブログをさぼりかげんと思っていたが、気がついてみたらかれこれひと月近くになる。

 理由はいろいろある。ひとつにはネタ切れ。仕事が忙しくて気が向かないこともあるが、面白そうなネタがない。たとえば政治。安倍、福田、麻生がダメで、政権交代したら鳩山がダメで、菅もダメ。参院選では候補者を消去法で消していったら何党も残らず投票するのに困った。政治をからかう気にもならない。日本はいよいよ危ない。

 選挙の結果は衆参ねじれで、世論調査によるとこれでよい、政策ごとに各党連合し、菅は続投せよ。菅続投は、また首相がコロコロ代わったのではみっともないからで、信用されているわけではない。消費税増税も容認派の方が多いのに、200万以下だの400万以下だの低所得者層には還付するなんて、ややこしいことを言い訳がましく言うから信用を失う。国民に貰い癖をつけて手なずけたいらしい。

 選挙の手練手管が終わったので、少しは本気で政治に取り組むかと思ったら、民主党の敗北は菅のせいか小鳩のせいかで党内が反目しあい、結局自分たちの立ち回り方しか関心がない。小沢も検察審査会で起訴相当、不起訴不当と判断され、ここらでもう引っ込めばよいのに、よく粘る。鳩山も辞任のとき、次の衆院選には立たないと言ったのに、時を経ずしてコロリと気が変わった。

 タバコをやめようと思っていることも、ブログに影響する。ものを考える時、書く時、私はやたらにタバコを吸う。しかしその習慣のため、人に嫌われながら課税の餌食になり続けるのもバカバカしい。政治があまりにバカバカしいので、アホさかげんで自分を一緒にされたくない。タバコを吸って考えるのと、タバコを吸わずに考えないのと、どっちがマシかはわからないが。


スイスに行くか、ポルシェに乗るか
2010/6/24

 
 60代半ばの会社社長Aさんは、「リタイアしての悠々自適なんて退屈なだけ、仕事もせずに時間つぶしの余生ではお天道さまに申し訳ない」などと立派なことを言っていたが、さすがに近ごろは歳のせいか「働くだけで一生終わったのではつまらない」と考えるようになった。

 そこでこの夏は、奥さんとスイス旅行をと思い立ったが、奥さんと意見が合わない。海外旅行はこれまで独自企画の旅行ばかりだったが、個人旅行では気も使うので、今度はパックになった団体ツアーで連れてもらうのがラクチンでよい、というのがAさんの計画だった。しかし奥さんは、ヒツジの群れのように日本人ばかりダンゴになって街を歩きたくないと言って譲らない。英会話教室に通っているので、こういうときに使いたいらしい。

 まあ確かに、観光バスでショッピングモールに連れ回されるのは閉口だが、そういう時は同行せず、ホテルの窓から山並みを眺めながら昼寝をしていればよい。ああだ、こうだと言い合っているうちに行くのが面倒になり、あえなく計画は取りやめになった。夏休みは他にすることもないので、仕事を入れることになる。

 そこでまた考えた。来年、クルマを乗り換えるときは2人乗りのオープンカーにしよう。シルバーか赤のポルシェがいい。

 彼はこれまで外車に乗ったことも乗りたいと思ったこともない。クルマなんか下駄と一緒で用が足せればよい。ベンツやBMWがなんぼのもんじゃ、国産車が性能も品質も一番よく、故障しない。だから彼は別にこだわりなどないのだが、いつも色がダークブルーばかりで変わり映えがしないので、いつだったか次は赤にすると言ったら、総務課長が「やめてください。それでは取引先の葬儀に乗ってゆけない」。

 クルマは葬儀第一に選ぶものか。人の葬儀を気にしているうちに自分の葬儀が来るし、うかうかしているとオープンカーにもみじマークを貼らなければならなくなる。それはいかにもカッコ悪い。乗るなら今のうちだ、好きにさせてくれ。文句あっか!

 と、ほんとに言おうものなら「社長が壊れた」と社員が不安を抱く。この話も計画倒れで終わるかも、でも計画だけでも楽しめた、と彼は思っている。


土門拳が捉えたこどもたち
2010/6/5

 
 昭和の日本人を被写体に時代や生活を活写し、その執念を込めた仕事ぶりから鬼と呼ばれた写真家、土門拳の写真展に出掛けた。没後20年の企画展だった。

 私が最初に彼の作品を見たのは、学生のころ古本屋で「筑豊のこどもたち」の写真集を見つけた時だった。その後、彼は脳出血で半身不随になり、仏像や寺院を撮るようになった。彼の執念は衰えることなく、2度目の脳出血で倒れた後は車椅子を使って撮影を続けた。自分のテーマはずっと一貫している、と彼は語っているが、私には昭和10年代から30年代にかけて撮った市井のこどもたちの作品に、彼の真骨頂を感じている。

 写真展に出掛けたのは、昭和の時代への郷愁からではなかった。もっと必死で一生懸命だったころの日本人に再会して、元気を分けてもらいたかった。なにしろこの10年、15年、日本と日本人は加速する劣化に歯止めがかからず、この先どこまで堕ちてゆくのか見当もつかない。政治は目先で右往左往するばかり、こどもも大人も年寄りも、未熟でひよわ、誇りも希望も展望もだんだんとなくし、おまけに自分本位で節操がまるでない。イチローや石川遼を見ると、日本人もまだまだ捨てたものじゃないと思い直しつつ、スポーツ界のスターが日本を立て直せるわけでもなし。

 土門拳が捉えたこどもたちは、実にさまざまな表情をしていた。屈託のない底抜けの明るさ、やんちゃの盛り、紙芝居やチャンバラごっこ、ゴム跳び遊びへの没頭、家の仕事の手伝い……日本がまだ貧しかったころ、それゆえに懸命で活力に満ちたこどもたちがいた。もちろん、当時の貧しさが彼らに強いる現実には厳しいものがあった。弁当を持って来れない子は、学校の昼食の時間、本を立てて読むふりをし、隣りの席の子の弁当に無関心を装ってやりすごした。昭和20年代には靴磨きの子や担ぎ屋の子、孤児院の子や浮浪児の姿も撮っている。

 実は、私が最も印象付けられた1枚は、昭和29年撮影の「物乞い 銀座」だった。ビルの石壁を背に座り、股間に空き缶を置いた小学校低学年の男の子で、素足は垢で黒ずみ、着ている服には孔が開いていた。表情はあどけないが、空疎でもあり、気持ちを押し殺しているようでもあり、掴みきれないままにさまざま思いが広がった。私と同年代のこの子は、そのあとどうなっただろう。したたかに生き延び、高度成長の波に要領よく乗り込めたのか、不運続きでついに這い上がれることはなかったのか。

 そうしたぎりぎりの修羅場のような時代にはたくさんの犠牲も生まれたろうが、いまはやりのうつ病なんかになっている余裕はない。戦争に負け、アメリカの占領政策で骨抜きにされながらも、まだこの時代には戦後の復興という焦眉の大目標があった。無我夢中で危機を潜り抜け、エコノミックアニマルと揶揄されながら、ようやく経済大国にのし上がった途端、皮肉なことにこの国は目標を見失い、アメリカの日本人骨抜き政策が完成した。米軍基地移転問題で立ち往生したら、国内世論を押し切って日米合意を優先した国のやり方が、それを象徴的に物語っている。

 食うや食わずに耐え抜いて乗り越えたあのころの子どもたちと、国を借金で食いつぶすと知りながら、子ども手当てはしっかりもらって当座のラクをしたい親に育てられる子どもたちと、どちらが幸せだろうか。


「いただきます」と「ごちそうさま」
2010/5/26

 
 私立の中学に入学した時、学校で昼食をとる前に、次の言葉を斉唱するよう教えられた。

 「本当に生きんがためにいまこの食をいただきます。与えられた天地の恵みを感謝いたします」。
 
1年の時はみんな行儀よくやっていたが、一貫教育の高校に上がると3時間目を終わった放課時間に弁当を食べるのが公認になり、食欲に優る礼節などあるわけもなく、教室からあとかたもなく消し飛んでしまった。育ち盛りの食い気はしょうのないものだ。
 
 結婚して子どもが生まれ、子どもに教えておくとよいと思って夕食の前にこの言葉を復活させた。長男、次男がまだ小学生だった。神妙な顔をして合掌していたが、私自身が身についていない悲しさでつい忘れ、習慣になる前に消滅した。
 
 この歳になってまた殊勝な気持ちがよみがえり、せめて「いただきます」と「ごちそうさま」ぐらいはと始めた。箸を取る前に手を合わせる人をたまに見かけて、いい姿だと思ったことがあるし、世界では貧困や飢餓で、5歳未満の子が年間1800万人も死ぬと聞くと、満腹になるまで食ってメタボを気にする自分がみっともない気がしたからだ。

 三男が「自分が生き延びるために何頭のウシやブタを殺しているかと思うとせつないねえ」とつぶやいたのも思い出した。牛乳や果物ならともかく、殺すために育てるウシやブタの命まで「天地の恵み」と言っていいのかどうか疑問だが、生き物の犠牲の上に立つ罪深さは自覚しておかねばならない。スライスや切り身にされてパックに入った肉片を見ても思いが至らないが、口蹄疫報道で生身のウシやブタの姿を見ると、よけいそんな気になる。

 「いただきます」と言うとカミさんが「はい」、「ごちそうさま」と言うと「お粗末でした」と返事をする。エッという顔をすると娘が「お父さん、食べ物に言っているの、作ってくれたお母さんに言ってるの」と切り込んでくる。ま、両方です。

 今回も、習慣になっていないから食事の途中や終わってから、あら忘れたと気がつくことが多い。理屈だけは立派だが、できの悪い自分がいやになっちゃう。


部下の叱り方、褒め方2
2010/5/21

 
 人を育てるのは難しい。山本五十六のこんな言葉がある。「やってみて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」。信長は軍事・政治の天才だが、気が短いのが災いして天下布武を目前にして斃(たお)れた。秀吉は百姓の子から身を起こした苦労人だけあって、人たらしと呼ばれるほど人心に気が回り、天下人になった。

 私の会社にも、頑張り屋だがかんしゃく持ちの男がいて、むくれると部下や同僚とのコミュニケーションをぶん投げるので、しばしば信望を失って遠巻きにされる。「仕事に感情を持ち込むな。自分が損するだけだよ」と繰り返し言うと、なんだか過剰に丁寧なメールを打ってみたりしてぎこちない。ま、本人なりに自制と努力はしているのだろう。

 そういう私も、人を褒めるのが下手で、滅多に褒めたことがない。できないことをできるようにするのが大事で、できたことは解決済みの話じゃないか、というのが私の理屈だが、そういうものではないらしい。人間、褒められればうれしいし、モチベーションも上がる。最近はなるべく気をつけているが、褒めようと思わないと褒められない。

 叱る時でも、本題で叱る前と後で褒めておくといいらしい。叱るだけで終わるのとは後味が違う。

 それはそうなのだろうが、そもそも上司と部下はどういう関係なのか。上司が指示し、部下が動いて結果を報告し、それを上司がチェックする。あるいは部下が提案や相談をし、上司が判断し決定する。つまり組織運営上必要な機能を分担しているだけで、責任は上司の方が重いが、人間としてエライというわけでもない。戦国武将ではないのだから、褒める、叱るの人間関係とはちょっと違うのではないか、と思われる。

 だから私は、自分では叱るつもりはないのだが、相手が怒られていると受け取ることがある。部下にミスが出たら、再発防止のための注意喚起をするのが上司の仕事なので、力説してつい声が大きくなると、相手がだんだん小さくなる。あとで、あのとき怒られたと言うので、別に怒ってないよ、小言だよと言うときょとんとした顔をする。

 小言はくどくならないように、さっと切り上げるのがコツだ。そしてリセットしたら2度と同じ話を持ち出さないこと。当人に何度も力量不足が目立ち、期待できないと判断したら、諦めてそれなりにやってもらうか、配置を変えてみるか、降格して出直しを待つか。機能分担説を採ればそうなる。ファミレスのおばはんのようにムキになっていじめるよりよほどいい。(おわり)


部下の叱り方、褒め方1
2010/5/15

 
 休日というのにお構いなく、5時に目が覚める。ぼんやりした頭できょうの予定をチェックし、起きぬけてコーヒーを沸かし、朝刊を読む。カミさんは起きてくる気配がないが、休日はスタートでリズムに乗らないと、調子が狂う。まず腹ごしらえだ。ファミレスの開く7時を待って出掛けた。

 ひとりなのでカウンターに席を取って朝食メニューを注文した。カウンターの向こうに配膳スペースを挟んで厨房が見える。中で50過ぎのおばはんが若い子を叱っている。「さっさとしないと、皿の用意が先だろ、なにしてるんだ、そうじゃないよ」。そのうち収まるかと思ったが、のべつ幕なしで口調がきつい。いちいち気に入らないと見える。店長はいないようだ。2人のウエイトレスは、矛先が自分に向かわないように気を使っている。

 朝っぱらから不快な気分にさせられ、奥のボックス席に移ろうかと思ったが、小さな声で「はい」と答える若い子がだんだん気の毒になってきた。20代の半ばだろうか。これじゃあそのうち泣き出すか、4、5日で店をやめるのではないか。いやいや、離婚して幼児を1人、2人抱え、簡単にはやめられない事情があるのかもしれない。

 「おばさん、うるさいよ!」。たまりかねて私は声を投げた。私はもともと声が大きい。店中に聞こえたようだ。「怒ってばかりいたんじゃ客が不愉快になるよ!」

 おばはんは、ばつが悪そうに愛想笑いをし、黙ってちょっと手を合わせた。そのあとは態度を変え、指示を出しながらもトーンを下げた。

 帰りがけにレジでウエイトレスに「あのおばさん、いつもあんな調子なの」と聞いたら「入って間もない子なので。すみませんでした」と言う。「あれじゃ人が育たないよ」と言い置いて店を出たが、あのおばはん、お前のせいで怒られた、とまたあとでいじめたりしないだろうか。確かに料理が出るのは少し手間取ったが、店の雰囲気を壊しておいてどんなサービスも補えない。(つづく)


日本の葬式と仏教4
2010/5/10

 
 総務部長の相談に、ホテルの支配人は声を潜めて「近々のご予定ですか」と聞いた。「いえ、社長はまだ10年は第1線を下りないでしょう」「10年ですか」「10年以上は老害になるのでトップを譲るそうですが、そのあと5年は後継者の背後霊のつもりで会社に出ると言っています」「すると15年後ですね」「そのあと引退して少しは余生を楽しみたいようです」「かなり先の話ですね」「とは言っても、人間、いつ不慮の死を遂げるか分からないので、準備だけはしておきたいとの意向です」「ハア、なるほど」。

 ホテルの見積もりは、葬儀屋の1/3に収まった。他にはDVDの制作費が数万円かかる程度。Aさんは、せっかく会葬者がおいでになるのに死んだ本人があいさつもしないのでは失礼になる、と生前に「故人のあいさつ」を撮っておくつもりだ。戒名はすでに自分で用意している。

 部長の報告にAさんはこれで見通しがついた、と語った。「経営者はね、死ぬのも勝手にはならないんだよ。会社を背負っている以上、いつまで生きていなけりゃいけないか、それも仕事のうちなんだ。プレッシャーのかからない人生なんて退屈でつまらないが、だからまた自分の葬式を描くのがとても楽しくてね。ほっと肩の荷を降ろせる時だからね」。

 死ねない、死ねないと言いながら、Aさんはタバコを1日40本も吸うし、車の運転もせっかちだ。余生を楽しむのは15年後からの計画だが、計画通りたどりついたそのころは、寝たきりや認知症で介護される身になっているかもしれない。それでも、死ねないと覚悟すれば死なないと思うことにしている。

 彼は形骸化した葬儀を否定するが、それはむしろ彼が仏教のあり方に高い関心を持っているからだ。宗教は生きている人のためのもので、人々の死への恐れや死後への不安にも、なおどう生きたらよいかを教え導くのが仕事で、死んだ人のためのものではない。現代仏教はその自覚も努力も絶望的に不足している。葬儀屋主導の葬式に寄生し、なすところなく食いつないでいるだけでは釈尊もさぞ呆れているだろう、と怒っている。

 寺を下請化した葬儀屋産業もいずれ衰退する。この業界はすでに過当競争が始まっており、葬儀の簡素化で客単価も下落している。団塊の世代が死に絶えた後は、人口(つまり死ぬ人の数)も減少してゆく。寺の経営が成り立たず、住職のいない無住の寺は全国7万以上の寺のうち、すでに2万寺を数えるというが、それでもなお、寺は葬式にぶら下がるしか能がないのだろうか。(おわり)


日本の葬式と仏教3
2010/5/5
 
 Aさんは中堅企業の経営者。還暦を過ぎてなお気力充実、至って健康なのだが、近ごろ自分の葬式の準備をあれこれと考え始めた。

 本人は最初、自分の死はだれにも知らせず身内だけの家族葬で済ませたいと思っていた。それというのも、兄と父との2度の社葬を経験し、仰々しい葬儀にとても虚しい気持ちになったからだ。社格に見合った葬儀でなければみっともないと番頭さんや葬儀屋が薦めるまま、費用もそれぞれ1000万円を超えた。もともと形式的なことが嫌いなAさんは、自分が死んだ時は、ひっそりと静かに退場すればよい、死んだ後まで見掛けだけの儀式で立派に見せる方がよほどみっともないし、遺された者たちにも負担をかけたくないと感じたのだ。

 「私の時は、故人の遺志で葬儀は身内で済ませましたと言えばよい」と話すと、番頭さんは「そんなわけには行かない。遺された後継者や会社がどんな陰口を言われるか分からない」と反対した。確かに社葬の場合、訪れる会葬者は故人へのお別れよりも、喪主に対して弔意を伝える目的の方が強い。葬式を公開しなければ、せめてお線香をとばらばら来社されてかえって混乱を招く。タレントが私的な婚約や離婚の記者会見を、自分から申し出て行なうのも、いちいちの個別取材を避けていっぺんで話を済ませたいからで、それと同じ理屈だ。しかしやるとなると、やはり社格の問題が浮上するので中途半端にはできない。はて、どうしたものか。

 彼はまず、葬儀は家族葬として切り離し、1カ月空けて偲ぶ会を催すことにした。時間があれば葬儀屋と価格交渉もできる。しかし、試しに見積もりをとってみると、会葬者1000人規模の想定で、祭壇だけで500万、遺影が50万、エッ、エッと言っているうちに、総額は1000万、2割値切っても800万。祭壇なんか、何回でも使い回しできるのに、葬儀ビジネスはよほど特別なドサクサ商売らしい。

 ならば葬儀屋に頼まずホテルで行なったらどうか。ホテルでは焼香できないがその方がよい。寺も呼ばず経も上げないので、もとより献花で行なう。Aさんは早速、総務部長に見積もりを取らせてみた。(つづく)

日本の葬式と仏教2
2010/4/30
 
 戒名は本来2字だが、高度成長そしてバブルが上り詰めてゆく過程で、道号、位号に加え院号で飾り立てた戒名が乱発され、戒名料が吊り上がってゆく。院の上の院殿がつく最上級では11字にもなり、戒名料だけで百万を超える。これらの号は、元は寺への貢献度に応じて贈られるもので、だれにでもというわけではなくおのずと分が守られていたが、バブルを背景に見栄と世間体で金さえ出せばのシロモノとなった。

 しかしバブル崩壊後は様相が変わり、近親者だけのこぢんまりした家族葬(密葬)やもっとシンプルな直葬(じきそう)が増えているという。散骨などの自然葬や手元供養ならば墓もいらない。墓埋法では遺骨の埋葬は墓地以外の場所で行なってはならないと規定しているだけで、埋葬しなくても節度を持って葬送すれば自然葬でも罰せられない。高度成長のころ地方から都市へ流入してきた2、3男には、受け継ぐ先祖からの墓もなく、核家族化したサラリーマン家庭だから子孫に守らせるべき家の意識も薄れた、と著者は分析する。

 著者は宗教学者だが、葬式もいらない、戒名もいらない、墓もいらないなどとズケズケ言うと、寺という“関連業界”が収入源を断たれて恨みを買うだろうにと思うが、「檀家という贅沢」の1章を立てて、一応のフォローをしている。

 寺院は、古代には天皇や豪族、貴族が、中世以降には武士が寺領を寄進し、財政を支えてきた。つまりは時の権力者に支援、庇護され特権的な地位を保ってきた。ところが明治になると寺請制度が廃止され、上知令で寺領が召し上げられ、おまけに廃仏毀釈の受難に襲われる。戦後は農地改革の追い討ちも受ける。そうなると観光寺でもなければ、檀家の葬式や年忌法要を経済的基盤にするしかない。まさに葬式仏教こそが寺に残された延命の道になる。

 その上で著者は言う。檀家は先祖の供養を寺に委託し、寺の住職は檀家のためだけに毎日勤行をし、読経などを行なう。檀家になるということは、昔なら上層階級だけが実現できたことを一般庶民がしてもらっているわけで、大変贅沢なことなのだが、檀家の方にその自覚や意識が薄れていると。(つづく)

日本の葬式と仏教
2010/4/26
 
3年ほど前、「そこ(墓)に私はいません、眠ってなんかいません」と歌う「千の風になって」がヒットした。遺族が、死別した人との愛別離苦から解放されて、気を取り直すにはなかなかいい曲だ。こうすっきりと切り替えを勧められると、そうか、墓にこだわらなくてもいいんだなと思う人が増えるだろうと思っていたら、今度は「葬式は、要らない」(幻冬舎新書刊)という本が出て、これもヒットしている。読んでみると、これがまた面白い。

 
 著者の島田裕巳は宗教学者で、日本人は葬儀や戒名や墓に数百万円もかけるが、そんな贅沢をするのは日本人ぐらいで、どうしてそんなことになったのかを解き明かしている。

 そもそも日本人は古墳時代から、死後の世界を現世とまったく異なる異界と捉えていた節はなく、仏教が渡来した後も、死の世界とは結びつきはなかったと言う。仏教思想の根本は、無常を説き執着を捨てることで、死後について説くこともなく、だから法隆寺、薬師寺など古代に創建された寺院には、墓地もなければ檀家もいない。

 高度な舶来の文化や学問として摂取されて来た仏教だが、平安朝に入ると現世利益を説く密教の輸入によって異界の世界観に変質し、それが浄土信仰の下地になった。浄土教の信仰はやがて源信の「往生要集」を生む。源信は地獄極楽を描き、いかにして死に臨んだらよいかを示した。これによって仏教は死の世界を深い結びつきを持つことになった、というわけだ。
 
 日本で仏教式の葬式が開拓されたのは鎌倉時代の曹洞宗による、と著者は言う。中国で確立された禅宗の書「禅苑清規」には葬式の方法が記され、修行途中で死んだ者にも出家者の証しである戒名を授ける道を開いた。禅宗はまた儒教の影響を受け、祖先崇拝が取り入れられた。それが日本の在家(僧侶でない一般人)の葬式の方法としてやがて広がってゆく。
 
 そして江戸時代の寺請制度が日本の葬式仏教を決定づける。寺請制度はキリシタンなど禁教の信者でない証しに寺の檀家になることを強制したものだが、それが葬式や戒名を浸透させてゆき、祖先崇拝とも強く結び付く。しかし「(在家の)戒名は日本仏教に独自な制度で、釈迦の教えに基づいてはおらず、また仏典に根拠が示されているわけではな」く、そもそも「宗派の大学も本山も、戒名のつけ方を指導しない」という。(つづく)

迷走、また迷走
2010/4/14
 
 日本の政治にも困ったものだ。

 民主党が政権を取った時には大きな期待を集めたが、もたついてばかりで失望が広がっている。鳩山さんは育ちがよすぎてリーダーに不可欠な判断力と決断力が足りない。小沢さんは結局、政治は数、数はカネの手法を変える気がないので、独特の政治理念や将来構想を持っていたとしても、なんだかねえと評判が悪い。
 
 自民の旧体質を引きずりながら、どっちもどっちの労組を支持基盤とするしがらみも合わせ持って、「コンクリートから人へ」のキャッチコピーも、ただのバラマキ、選挙のための人気取りだったとばれてしまった。財源はどうするんだ、子ども手当てや高速道路の無料化なんてばかげているよ、消費税もほっとけないのに、と国民の方が国の将来をよほど憂えている。

 閣僚はみんな人相が悪くなった。野党のころはもっとはつらつとしていたのに。菅さんや長妻さんの影の薄いこと。

自民は出直す絶好のチャンスなのに、むしろ内部崩壊が進んでいる。谷垣さんには肉を切らせて骨を絶つ覚悟があって総裁になったとは思えない。小泉さん以後は、民主が勝手に転んだおかげで与党の地位を延命してきた党だった。敵失だけでは党勢は伸ばせないのをよもや忘れてはいないだろうに。野党慣れしていないので攻撃のしかたもうまくない。

 愛想尽かしをして新党を立ち上げた、その名もたちあがれ日本。立ち上がれとは、選挙民に言っているのか、他党の議員に離脱・入党を呼びかけているのか。保守で憂国の士の平沼さんにタカ派の石原さんが応援に付くなら、決起党とでも名付けた方が右翼チックで雰囲気が出た。

 いずれにせよ、しばらくは新党ブーム、多党化現象が進むかもしれない。ただ、小選挙区制のいま、分裂して小党化すれば選挙で不利になる一方だから、互いに統合の機会を窺うことになりそうだ。その挙句またしても国家観なき寄り合い所帯ができるのでは、政界再編の名が泣く。2大政党も作れないようなていたらくなら、小選挙区制など迷走を深めるだけに終わる。なんたるこっちゃ。

ネーミング
2010/4/2
 
 赤ん坊が生まれると親が名前を付けて役所に届け出る。いまだに姓名判断にこだわる人もいるようだが、面倒なのでその時注目のスポーツ選手や芸能人の名を借用する親も多いようだ。近ごろでは(石川)遼、(坂本)勇人、(菊地)雄星、(櫻井)翔、瑛太など男の子にその傾向が強い。女の子は、マリア、リサ、アンナ、メイといった国籍不明の呼び名に漢字で当て字をするのも流行っている。親としてはそれなりに思いを込めているのだろうが、男女いずれの場合もお手軽、軽薄のそしりを免れない。

 ネーミングは結構楽しいもので、私のように自分の子どもの名前を付け終わってしまうと、他人にあだ名を付けて退屈しのぎをする者もいる。悪い趣味だ。

 たとえば、なにかとワーワー騒ぎ立てるのが好きな男に「ピーポー鳥」。ピーポーはパトカーの警報音で、その男は酉年だった。

 ダイヤの指輪やブランド物を取り巻き連中に見せたがる成金趣味のオバはんは、カミさんがゴルフスクールで知り合った。写真を見ると、首から下はゴルフ焼けして黒いが顔は念入りに化粧して白いので「ヌリカベ」に即決。水木しげるの妖怪漫画のキャラクターから採った。

 うりざね顔で、若いころはかなりの美人だったろうが、惜しむらくは歳を経て水気を失ったおばあさんは「10日なすび」。

 酒の飲みすぎで鼻の頭が赤い男に「トナカイ」と付けたのは、クリスマスソングの「赤鼻のトナカイ」から採った。「パンツ」と付けた友人のあだ名の由来は忘れた。

 相手に悪意を持っていなくても、あだ名には多少の毒気を盛り込まないと面白くない。本人が聞いたら怒るからひそかな呼び名だが、カミさんとの会話で呼び習わしていると公式名を忘れ、本人の前で裏名がうっかり出そうになる。このリスクがまた楽しいから、やはり悪い趣味だ。

コンビニの起源
2010/3/28

 昔、電気冷蔵庫がなかったころ、冷蔵庫のことを英語でアイスボックスと言った。文字通り箱の中に角切りの氷を入れて保冷したもので、箱は断熱性を考えてブリキ(だったと思うが)で内張りをした分厚い木製だった。日本でも電化製品の三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、モノクロテレビ)が普及する以前は、街に氷の小売店があって、厚い氷の板をのこぎりでシャーシャーと切ってはアイスボックス用に小分けし、大きなヤットコのような道具で挟んで運び、売っていた。この氷の小売店が、コンビニエンスストアの歴史の起点だったとは知らなかった。

 1927年、アメリカ・テキサス州のオーククリフという町で冷蔵庫用角氷の小売担当者、ジョン・J・グリーンが、顧客サービスのため夏の間は週7日、1日16時間の営業を行なった。すると好評で、「パンや牛乳や卵も売ってくれるともっと便利だ」の声を受け、勤め先の会社に提案し採用されたのが始まりだという。この会社はサウスランド・アイス社といい、現在のセブン‐イレブンの前身だ。当初、営業時間を朝7時から夜11時までにしたところからこの社名になった。

 国内のコンビニ各社は、不振の小売業界にあって好調に売上を伸ばし、08年にはデパートを抜いた。デパートやスーパーほどの売り場面積もなく、従って品物を選択できるほど揃ってもおらず、値段も決して安いわけではない。当座しのぎで間に合わせの日用品や食品がちょこまかと置いてあるだけなのになぜ流行るのか。タスポに抵抗して自販機でタバコを買えなくなるまでコンビニには滅多に出入りしたことのない私には不思議だったが、コンビニの起源がその理由をよく物語っている。

 コンビニが利用客を引き付けているのは品質でも価格でもなく、利便性(コンビニエンス)という名のサービスに尽きる。日用品や食品の品揃えは通りいっぺんだが、ちょっと歩けばどこにでもある。いつ行っても24時間、年中無休。さらに、宅配便、公共料金、コンサートやイベントのチケット、ATM、電子マネー、郵便ポスト、酒、タバコ、薬、CD、DVD、新聞、週刊誌、コピー機、FAXと、かつては扱えなかった、あるいは扱いが限定されていた物やサービスがあれもこれも揃う。弁当はレンジで温めるし、カップめんにはお湯のサービスもある。

 小さな店舗面積にほんの数人ずつのパート店員のローテーションで、これだけのサービスを賄うのは見事だが、問題もある。乱立で過当競争になったり、深夜営業が強盗に狙われたり、省エネに逆行すると批判されたり、フランチャイズ本部からの指示で賞味期限切れの近い弁当の値引き販売禁止と廃棄が問題になったり、フリーターやワーキングプア層を拡大したり。飽くなき競争主義、合理主義経営には、どこかでひずみが生まれる。発案者のジョンにそんなつもりはなかったろうに。

ドッグランにデビュー2
2010/3/21

 この日は、女子国際マラソンの開催日なので封鎖された道路は迂回しなければならない。方向音痴の私はナビが頼りだが、そのナビに逆らいながら進路を取り、それでも先週よりはスムーズな展開で到着した。小次郎と熊五郎もクルマには少し慣れたようだ。

 ドッグランには、20数匹の犬と飼い主がいた。最初はリードを付けたままで環境に慣れさせ、しばらくようすを見てから放してみたが、問題はなかった。イヌは自分のテリトリーに近づくものがあると、人間でもイヌでもネコでもトリでも、やかましいほど吠えて威嚇し、縄張りを守ろうとする習性があるが、どのイヌもそんな気配はない。ここが独占できない公共の場であると、ちゃんとわきまえているようだ。マナーの悪い人間よりえらい。

 しかしもちろん、行儀よくじっとしているわけではない。意外だったのは、4匹生まれた小次郎の子どもの中で、器量が悪いためペットショップで引き取ってくれなかった熊五郎が結構なモテぶりで、イタリアングレイハウンドやコッカスパニエルにひと目惚れされ、追いかけ回されたことだった。人間界とイヌ界ではイケメンの基準が違うのだろうか。娘の解釈によると、熊五郎は若いのでフェロモンの匂いが強いのだろうという。

 なんだか大きなネズミを前後に引き伸ばしたようなイタグレのしつこいストーカー行為に閉口した熊五郎は、しゃがんでいる飼い主のだれかれ構わず膝の上に駆け上がって避難する。これも通常なら「スミマセーン」と言いながら引き取りに行かねばならないところだが、なにしろここは愛犬家のたまり場だ。イヌが飛び乗ると「おっほっほ、かわいいね」とうれしそうに笑う。
 
 ウチではアホでブサイクで乱暴者の熊五郎がイヌからも人からも人気を集めたのとは対照的に、聡明で美形、その上孤高、愛想の悪さではネコにも負けない小次郎は、よそのイヌがちょっかいを出すと、ウルサイといった表情で追っ払うので、連れてきた甲斐がない。あいつはほんとにイヌなのか。

 飼い主は、さかんに写真を撮る人もいるが、大体はイヌを好きに遊ばせて見ているだけ。幼児を公園の砂場で遊ばせる若奥さんたちの図によく似ている。新参者の親子がその輪に加わって公園デビューするのは、きっかけを掴むのに結構大変らしいが、ここはそういうことはない。

 実はドッグランデビューをするとき、飼い主が近寄ってきて「オタクのワンちゃんは何歳ですか、あら、そうですか、お元気ね。お名前は? まあ、すてき。ドッグフードは何を?」などと聞かれるとうっとうしいと思っていたが、それは無意識に公園母子の井戸端会議のようなものと想像していたからのようだ。

 「オタクは幼稚園どちらへ。そうよねえ、お受験も考えとかないとね。ウチなんかほんとデキが悪いのでうらやましいわ」「まあ、ご冗談でございましょ、奥さま」なんて雰囲気がないのは、ドッグランは奥さんの集まりではなく、若い娘もじいさんも若旦那もいろいろ混じっているからだろうか。

 2時間ほどいて、小次郎が退屈し始めたので引き上げることにした。一番楽しんだのは娘だった。(おわり)

ドッグランにデビュー1
2010/3/15

 娘がしょんぼりして元気がないので、ドッグランに誘ってみた。娘はウチで一番イヌ好きで楽しそうに世話を焼く。

 ドッグランには行ったことがないので、サイトで探す。NPO法人運営の施設が広くて無料なのでここがよさそうだ。ただ、クルマで40分ほどかかる。ウチの小次郎も熊五郎もクルマに乗せると不安がってハアハア息が荒くなり、少しも落ち着かない。おまけにその日は雨降りで、古いバスタオルを4枚も用意した。カミさんが運転、私と娘が後部座席で一匹ずつ押さえ込む。

 道中なんとかなだめつつ、あと数分で到着と言う時になって、突然の渋滞が始まった。最初はこの先で事故でもあったのかと思ったが、パトカーが走るわけでもなく、クルマの列はほとんどピクリとも動かない。どうもヘンだ。

 しばらくしてハハアと見当がついた。ドッグランのそばに大きなメッセ(常設の見本市会場)がある。人気の催し物があって駐車場が満車なのだろう。それなら、と迂回して渋滞から抜け出す。催し物はモーターショーだった。

 数分のところを20〜30分もかかってようやく到着すると、この雨の中、さすがに先客はひと組もなく、1500平米のフェンスの中はがらんとしている。しかしドッグラン初体験組としてはかえって好都合だった。興奮して喧嘩をしないだろうか、大型犬に噛まれはしないだろうかと、少々心配だったからだ。ひとしきり遊んで、ようすも分かり、今度は晴れの日に来ようと話しながら帰る。帰りはイヌも遊びつかれておとなしく寝た。昔、子どもたちが小さい頃、行楽地や海水浴に連れて行った帰りと同じだ。

 次の日曜日、娘がしきりに誘うが、カミさんは昼寝してしまったし、私もなんだか気だるくもの憂いので気乗りがしなかったが、その気モードに入った娘はなかなか諦めない。約束したのだからしかたがない、ただ車中のイヌは娘がひとりで2匹押さえなければならないので、運転が危ないようだったら引き返すことにして、とにかく出掛けた。(つづく)

ご無沙汰しました
2010/3/5

  年度末で忙しく、2週間更新できなかった。近ごろどうも歳のせいか、忙しいとくたびれてこっちの方まで手が回らない。

 ブログ村を抜けた影響もある。順位を維持しようとすると4日以上は明けられない。抜けたので気にしなくてよくなったが、解放されたような張り合いがなくなったような。定年退職した人は、ちょうどこんな気持ちになるのだろうか。

 抜けた後は、アクセス数のレポートで読まれ具合が推測できる。そのチェックもしばらくしなかった。さぞかし落ちているだろうと久しぶりに見てみたら、思ったほどの落ち込みではない。はて。ブログの世界はどうなっているのかよく分からないことが多い。

 キーワード検索で過去のコラムに当たりがあるのだろうか、それともリピーターが更新を期待して開いてはがっかりしているのだろうか。そうだとすると、あまりサボっていては申し訳ない。

 アクセスしてきた人との交信を楽しみにブログを書く人は多いが、私はそんな気はないので、ワンウエイのメッセージとして発信するスタンスを守っている。伝えたいメッセージが次々出るときはいいが、切れたときには、苦労してネタをひねり出しながら、自分はなんでこんなことをしているんだろうと思わないでもない。

 ワンウエイの弱みだが、自分でそうしたいのだから文句や愚痴を言う相手もいない。よほど変人なのだろう。母やカミさんが付き合いにくいと嘆くのも無理はない。自分でも多少自覚はある。

 主張はしつつ、ユーモアも折り込んで読者サービスに心掛けて――のずっと昔の初心に返って、しかしまあ無理はせず、週1ぐらいのペースで出直すことにしよう。

出版界の目も当てられない変質2
2010/2/21

 活字文化の衰退は、もとより映像の分野の発展によるところが大きい。ある情景、たとえば夜が白々と明けてゆく海辺の風景や、サッカーの試合でゴール前の競り合いから抜け出して蹴りこんだが惜しくもバーに当たってはずした光景、はたまた航空機の墜落現場の惨状を、文字でいくら事細かに描写しても、あるいは説明しても、その場を撮った映像のリアリティにはどうしても及ばない領域がある。しかも映像なら一瞬で勝負できる。受け取る側は、なんの想像力を働かせる必要もなく、一瞬で場面の情報のすべてを手に入れる。

 便利で結構な話だが、それに慣れてしまうと想像力が働かなくなってくる。用意されたものを受け取るだけで、見えない不足を補う努力が要らないからだ。

 読む、聞く、見るはいずれも脳へのインプット作業だが、集中力を一番要求されるのが読むになる。便利を競う世の中で、苦心は時代遅れということなら、じっと固まった姿勢でしんねりむっつり文字を追いながら、頭の中でイメージを作り上げてゆかねばならない読書はかなり分が悪い。流れはおのずと活字離れに向かう。

 ところが映像には落とし穴がある。用意されたシーンはだれが見ても強制的に同じで、それ以上の発展がない。しかし、特に小説などの虚構が描き出すイメージは、読み手の精神作用が働いてみな違うものに育ってゆく。夜が明け行く海辺は、人によってはかつて訪れたことのある九十九里で、別の人にとっては子どものころ育った瀬戸内海だろう。そういう点では、ラジオドラマの方が、映画やテレビよりはるかに豊かとも言える。

 自分、自分に引き付けた想像力が働かなくなると、自分なりの視点や思考どころか自分の将来ビジョンさえ描けなくなる。おい、おい、大丈夫かと思うが、新旧政権が国家ビジョンをさっぱり示せない時代だから、別に驚くには当たらないのかもしれない。価値観の多様化などと見せかけの消費や娯楽の世界でお気楽になってはいないか。変質の道をたどってきた出版界の責任は大きいと思う。(おわり)

出版界の目も当てられない変質1
2010/2/16

 「近ごろは、若い人が本を読みませんね」と、証券会社の営業マンが話題を投げかけてきた。私は投資をやらないと断っているのに、ぜひ一度ごあいさつをとやって来た。難攻不落と見て、遠回りの話題を振りながら話の糸口を探るつもりらしい。その手は食わぬ。

 本を読まなくなったのは若い人に限らない、と私は答えた。近ごろは中年も年寄りも本を読まず、頭を使わず、気も回らないということになれば、「今どきの若いモンは」などと偉そうに言うと、「あんただって」と言い返されて相討ちになる。

 本といってもどんな本のことなのか。手軽に役に立って得をしそうな本ならよく売れている。たとえば、幸運を呼ぶ風水や占い、少ない手元資金で儲かるデイトレーダーの奥の手、有名私立に合格するための2歳からの幼児教育、300の英単語でラクラク海外旅行……といった類い。そのほかではゴーストライターがちゃかちゃか仕上げたタレント本。いずれにせよ活字文化というにはほど遠い。

 営業マンの言うのは、もう少しましなビジネス書のことだろう。大型書店で目に付くところに置かれているのはその辺までで、ヘタをするとDVDや文房具のコーナーが店内で幅を利かせる。すぐには役に立ちそうにない文芸書などは売上にさっぱり貢献せず、そんなものに場所を取っていると大型書店の経営はだんだん難しくなる。一方、昔ながらの小規模店ともなると、特異な流通システムのあおりも食って、漫画と週刊誌しか置けずにもっと苦しい。

 そのくせ新刊書は年間7万冊も出て、完全な過剰供給状態だ。返本率は4割にもなり、売れ残れば古紙の山になる。弱小出版社の中にはなりふり構わず一発当てんかの水商売、もっと言うと山師になりさがるものもある。マリファナ栽培の指南書や殺人教本、皇室の暴露本といったキワモノに節操もなく手を出し、週刊誌で叩かれて話題になると「地味な書評欄で取り上げられるよりはるかに販促効果が高い」とほくそ笑む。こういうのに限って出版の自由を居丈高に振りかざす。口から出まかせを言って、売上も平気でごまかす。あきれた手合いがいたもんだが、今や出版界にはそんな恥部もある。

 かくして書店からも出版社からも、かつてはにおい立っていた文化の香りがいずこへともなく消し飛んだのは致し方ないとしても、さてその結果どんな事態を招いたか。(つづく)

お知らせ
2010/2/12

 一昨年の12月に「にほんブログ村」に参加してから順調に順位を伸ばし、今年1月には総合順位で40万件中60位台まで上がった。ところが、2月に入った途端、村への1日分のカウント数が一夜で10分の1に減り、その後も大きな回復はなく、順位はずるずると1800位台まで落ちた。

 ブログへ直接のアクセス数にはさほど変化はない。これは一体どういうことか。どこかで障害が起きたのか、なにかの規制が間違って働いたのか。村に問い合わせたが回答が来ない。

 順位はどうでもいいようなものの、気分のよいものではない。で、16日に村を抜けることにした。
村を抜けてもブログは継続するので、直接のアクセスは今まで通り可能です。引き続きご愛読ください。村にはお世話になりました。
朝食風景の解釈または空想2
2010/2/9

 モーニングサービスよりもボリュームがあるのは、ファミレスの朝食メニューで、400円から600円ぐらい。いろいろ用意しているから選べるが、これも朝7時から。もっと早くと思えば、24時間営業の牛丼屋では5時から朝食メニューを用意し、ファミレスよりちょっと安い。

 早朝から牛丼屋に飯を食いに来るやつがいるかというと、思いのほか客が入る。2、3人か4、5人だが、店内にいるのは10分ほどなのに、入れ替わりで新しい客が入ってくる。客は60前後から70代ぐらいの男で単独客ばかり。ファミレスだと夫婦も少し混じる。喫茶店はさらにもう少し女が増えるが、いずれにせよ年齢は高く、男の個食が多い。これは何を物語っているのか。

 男たちは妻に先立たれてやもめぐらしなのか。はて、女の方が長生きのはずだが。単身赴任者と見るには年齢が高い。とすると、奥さんはまだ寝ているのか。「年寄りは早起きでいやだねえ」と飯も作ってくれないのだろうか。自分だって年寄りのくせに。第一、自分の飯はどうするのだ。

 熟年離婚というセンもある。近ごろは、定年を待って退職金を取り上げられ、捨てられる男も多い。朝の牛丼屋はわびしい男たちのたまり場なのか。そういえば、9時を過ぎると喫茶店には女同士の客が増える。よくしゃべり、よく笑う。黙々と食べ、そそくさと姿を消す男たちとは好対照だ。離婚して、男はひとりで早朝の牛丼屋へ、女は連れ立って陽の高くなった喫茶店へ?

 そうだとすると、ファミレスの老夫婦の姿が救いになる。子どもがみんな巣立っての2人暮らし。2人分をわざわざ作るのも手間で返って不経済だから「かあさん、またあの店にしようよ」。窓際に席を取り、向き合って通りを眺めながらとりとめもない会話を交わす。

 なんて勝手な推測を広げている私をだれかが見て「あの人かわいそうに、事情があって奥さんに逃げられたんだね」と思われているのかもしれない。(おわり)

朝食風景の解釈または空想1
2010/2/5

 私は朝5時ごろ目が覚める。7時に起きれば出勤に充分間に合うから、夜が明けるのが待ち遠しい。6時半を過ぎると雨戸を明け、門灯を消し、新聞を取り、顔を洗って、髭をそり「7時だよ」とカミさんを起こす。

 カミさんは「ふぁーい」と中途半端な返事をする。血圧が低いので寝起きが悪いのだというが、私は夜更かしのせいだと思っている。

 私は休日でも同じように目が覚める。休みの日ぐらいはゆっくり寝かせてやろうと思うから、起こさないでいると8時を過ぎても2階の寝室からコトリとも音がしない。よく寝られるもんだとうらやましくなる。

 休日と言えどもこっちは1日の計画を立ててある。第一腹が減って、当てもなく待ってはいられない。「8時過ぎたよ」と声を掛けて飯が出てくるのが9時近くになる。

 で、私は諦めた。休日こそ、朝はだらだらしないでスタートダッシュを切りたい。簡単な朝食ぐらい自分で用意すればよさそうなもので、そうする時もあるが、大抵は食べに出る。同じトーストとコーヒーでも、自分でマメマメしく動き回って用意すると、なぜか大してうまくない。食事が、出されて楽しむものでなく、済ませなければならない仕事になってしまうからだろう。

 私の地方の喫茶店にはモーニングサービスというものがある。コーヒー1杯で340円から380円だが、朝の7時から10時ぐらいまでは、どの店も同じ料金でトーストとゆで卵をつける。尾張一宮が発祥の地だとかで、その昔、繊維業界がイトヘンだのガチャマンだのと言われて盛んだったころ、喫茶店を打ち合わせの場に利用した繊維業者にゆで卵とピーナッツを無料で出したのが始まりだそうだ。

 一宮の商工会議所では毎年、モーニング博覧会を開く力の入れようで、人気投票で1位を決めるモー1グランプリを開いたり、モーニングマップを作成している。昨年優勝した店はフレンチトースト、サラダ、ゆで卵、スープ、フルーツ、コーヒーゼリーのセットを350円で出している。店によっては、おにぎり、茶碗蒸し、赤だしの和食コースがあったり、昼でも夜でも構わず“モーニング”サービスをするところがある。

 まあしかし、大抵の店は大きめのトースト半切れと、小さなゆで卵ひとつで、寝ぼけまなこの人にはちょうどよくても、私のようにさあこれからひと仕事という向きには、中途半端でもの足りない。(つづく)

朝青龍と鳩山由紀夫の間
2010/1/31

   朝青龍が傷害事件を起こして、引退勧告か刑事立件かなどと取り沙汰されている。彼はこれまでにも旭鷲山や白鵬と衝突したり巡業をサボったりして批判を浴び、再三、日本相撲協会から厳重注意を受けているが、一向に効き目がない。

 批判の立場からすれば、相撲は他のスポーツとは違い日本の国技であり、伝統文化なのだから、力士最高位の横綱たるもの強いだけではよしとせず、おのずと品位品格を備えていなければならない、と言いたいのだろうが、そんな理屈が本人に通じるとも思えない。彼は、高収入を目的にはるばるモンゴルから出稼ぎに来ただけで、なにも礼儀作法を学びたかったわけではない。

 ただひたすら強くなって横綱に上り詰める。それが彼の志だ。そのためには気性を激しく掻きたて、常にテンションを張り詰めておかねばならない。相手が土俵を割っていても念のためもうひと突き突き飛ばして自分の力を見せつけておく。追い上げてくる後進を蹴落として何が悪いのと思うから、ダメ押しはいけないと言われてもよく分からない。片手では持ちきれない賞金袋を受け取る時に、最高の達成感を味わう。

 しかし彼も生身の人間だ。故国でのサッカー報道で袋叩きにあった時は、ぴんと張り続けてきたテンションが一気にプッツンして引きこもり状態になった。それでも、もうひと財産稼ごうと見事によみがえった。大した出稼ぎ根性だ。

 彼が問題を起こすたびに、教育、指導が充分でないと相撲協会も批判を浴びる。仕方ないから厳重注意はするが、大事な看板力士にもたれかかっている協会としては、興行に響いては大変だから本気ではなく、形だけの注意に終わる。伝統は常に閉鎖性やもたれあい体質を生むリスクをはらみ、それが不感症になると自浄能力も失う。八百長疑惑、新弟子リンチ死事件、大麻汚染、と角界の不祥事が蔓延し、見かねた貴乃花親方が理事選に出馬したが、果たして一石を投じることになるのかどうか。

 なんだか日本の政界と似たような話になってきた。機能障害に陥った自民党長期政権に取って代わった民主党に、当初は期待が集まったものの、品位はあるが見るからにひ弱な鳩山首相は、旧政権の体質そのままの豪腕小沢幹事長に引きずられ、あるべき国家観も、そこに向かう道筋も示せていない。
 
 1千兆円もの借金大国のリーダーでありながら、選挙が怖くて消費税のシの字も口に出せない鳩山さんが、どんな批判を浴びようと屁のカッパ、目的に向かって突っ走る朝青龍の根性を(根性だけでいいが)少しは見習えないものか。

退屈しのぎ2
2010/1/19

 仕事を終え新幹線で帰途についた。通路側に席を取ったら、次の駅で2人連れが「恐れ入ります」「前を失礼します」と言いながら、奥の席に座った。こういう場合、言葉をかける人は少なく、黙ったままちょっと手を挙げて会釈するぐらいだから、こんなに丁寧なのはどういう人たちだろうと興味が湧いた。それでまた観察開始。

 窓側は70代、真ん中の席は50前後だろうか。2人とも帽子を被っていて、よく見ると坊主頭だ。これで坊さんだと見当がついた。本山の召集か何かで会合に出掛けるところらしい。

 「井上さんもね、まだ若いんだから、ここは理事長選を譲っておいた方があとあと穏やかでしょうに」と長老が若手に話しかける。貴乃花の相撲協会理事選出馬と似たような話らしい。「あの方にもお考えがあるんでしょうが」と若手が応じる。「それにしても順番てものがあるんだし。譲って次を待った方が、そりゃよほど利口ですよ。私が推された時もいろんな受け取り方がありましたしね」 若手はハア、ハアとうなづきながら聞いている。

 長老が話を変えた。「伊藤さんが、先般出席されなかったのはどういうことなんですかね」「やはり、ああいう場合、顔は出しておかれませんとね」「そうでしょう、日帰りしようと思えばできるんだから、ちょっと都合をつけるぐらいはしていただかないと」。若手はまたしきりにうなづく。

 この業界も派閥があったり、毀誉褒貶が渦巻いて、なにかと難しそうだが、ファミレスの会話ほど面白くないので、そのうち私は眠ってしまった。目を覚ますと、また別の人を話題にしていた。

 2人集まって時間つぶしをするには、人の噂話をするのがちょうどよいらしい。公共の場で話しても憚りない。近くで耳にする者がいても、ケンもキヨミも井上さんも伊藤さんも知る由もない他人だ。サカナにされる方は気の毒だが、知らぬがほとけ。そういえば、こんなエンターテイメントは、源氏物語の“雨夜の品定め”の昔から興じられている。人間が一番面白がるのは人間、ということのようだ。(終わり)


退屈しのぎ1
2010/1/15

 出張でビジネスホテルに泊まった翌朝、朝食を取りに併設のレストランに入ると、一見ミュージシャン風の男2人が会話を交わしていた。ひとりは20代後半、もうひとりは30代半ば。ビジネスホテルの朝食風景は、加齢臭プンプンのおじさんたちが黙々と和定食を食べているのが通例だから、よく目立つ。気がついてみると、このレストランはホテル併設ではなく、同じ建物で提携しているファミレスだった。宿泊客も外来客も利用できるようになっている。

 一見ミュージシャン風というのは、いかにもそんな身なりで、髪はロングヘアで1人は茶髪、派手目のシャツにジーンズ、ネックレスや指輪がじゃらじゃらしているのだが、音楽や仕事の話が出てこないので、よく分からない。朝起きて朝食というより、夜更かしして夜明けのコーヒーといった感じ。

 通称ジョニーと呼ばれている友人のうわさ話をしている途中で、30代が「でもよ、俺たちが横文字のネーミングで行くのはむりだよな」と言った。相手は「そんなこともねえだろう。言ったもん勝ちじゃねえの」。「そんなもんかな」「そんなもんだよ」

 30代はふうんといった面持ちで次の話題へ。「ケンって知ってるだろ。あいつとこないだ飲み屋で一緒になってよ。そしたらあいつ、俺の顔見てダァレッて言うんだぜ、ダァレッて」「ダァレッはねえな」「だろ、ダァレッだよ」

 また別の話。「キヨミってさ、結構ツッパッてんように見られてるだろ。でもな、案外そうでもねえの。俺分かってるんだ」「ああ、そうかも知んねえな。そういうのって、トクなの、ソンなの?」「ていうかさ、あいつもいろいろあってさ」

 コーヒーのお替りをしながら延々と続きそうなので、観察をやめて引き上げることにしたが、「THE3名様」を見ているようで興味深かった。「THE3名様」というのは、石原まこちん作のコミックで、場面は常に深夜のファミレス。ミッキー、まっつん、ふとしのフリーター3人が、だらだらととりとめもない会話を繰り広げる。漫画週刊誌に連載されて結構人気を集め、単行本にも実写版にもなった。ありそうでなさそうな話と思っていたが、いやいやこれはまさに、ノンフィクション漫画というのがふさわしい。(つづく)


ウエブ番組出演依頼2
2010/1/9

 私の都合でインタビューは祭日になったので、出向いた銀座の事務所には担当者1人しか出ていなかった。企業経営への経緯や思いを聞かれ、私も番組制作の趣旨や方針を聞いた。彼女は、全国200万人の若者に、賢人の情熱や哲学をメッセージとして送る質のよい番組を作りたいと話し、同時に企業経営者のブランディングを打ち出すことによって、企業紹介、人材採用、社内統制、ビジネスマッチングなどの2次利用にも喜ばれていると付け加えた。

 なるほど、そういうことなら悪くはないと思っていたら、経済費用として月6万円の年間協力の受諾を条件に制作会議に上程しますと言う。おやおや。

 それならそうと、依頼の最初に言わなければと突っ込むと、その点は取り次ぎの方にお伝えしましたがと言う。そんな話は聞いていない。ま、無料配信なのに企画、取材、制作、運営の費用はどうするのだろうと思ってはいたが、と話すと、そうなんですよ、月6万でそこまでやりますからと言う。

 私は回答保留にしていったん引き上げた。協力費の話があったのか取り次いだ者に確かめると、聞いていないと言う。聞いたか聞かなかったかどちらにせよ、ヘンかヘンでないかぐらいは感じ取ってもらいたい、右から左に用件を取り次ぐだけが仕事ではない、と注意して相手に電話を入れた。

 番組制作で、取材対象との間に金を絡めるのは問題がある。制作側が金を払えばやらせ、金を取れば広告になり、どちらも意図的な粉飾が生まれる。御社が言うように、若者にメッセージを送る番組を作りたいなら報道だが、協力費を仰いで企業紹介などをするなら広告になり、どうもそこがあいまいだ。取材協力なら喜んで応じるが、広告なら出す気はないと断った。担当者は「ご指摘を今後の参考にいたします」と答えた。

 世間にこの種のパブリシティ(広告らしくない宣伝)はいくらもあり、このケースが悪質というわけではない。出演者の中には大手家電メーカーの元社長もいたが、彼はこの企画にハクをつけ信用させるための広告塔に使われたのだろう。追随した出演者たちも、賢者と持ち上げられて動画配信されれば悪い気はしないから被害者はいない。世の中はまことにおめでたい。(おわり)

ウエブ番組出演依頼1
2010/1/5

  1カ月ほど前、電話で動画サイトへの出演依頼が来た。「賢者.Tv」という番組の2月放送分の候補に選んだので面談したい、40社ほどの候補を制作会議に掛け20〜25社に絞るが、今回のウエブ番組制作を経て全国ネットのテレビ番組への案内もある」という。

 電話してきたのは番組の企画制作運営会社の女性担当者で、私が対応したのではなかったこともあって、どうも要領を得ない。ホームページを検索してみると「現代のビジネスシーンをリードするベンチャー起業家や企業経営者に焦点を当て、日本の社会を背負ってゆくビジネスマン、学生の皆さん、企業家の方々を支援してゆく無料の動画配信コミュニティサイト」で「起業家や企業経営者から成功の秘訣、道しるべを得るために立ち上げた」とある。

 出演者例を見ると、業種はいろいろだが知名度の高い人も混じっていて、そういかがわしくもなさそうだが、私は現代のビジネスシーンをリードするほどでもないし、成功の秘訣や道しるべを与える“賢者”と呼ばれるにはほど遠い。毎年、出演者を呼んで開いているパーティのようすも見たが、なんだか随分と派手で、疑いの目で見るせいか、おだてられるとすぐに乗せられそうな人が映っている。

 なんであれ、依頼を受けたからには返事をするのが礼儀なので、自分で担当者に電話してみた。どうして私が候補になったのかと尋ねると、この人を取り上げてほしいという視聴者のリクエストや、本や雑誌の中から選択すると答えた。私の本が目に止まったのだろうか。

 候補者選考に出向いていただけるかというのも横着だが、ちょうど東京出張のついでがあったし、なにかちょっと引っかかる印象が当たっているかどうか試してみたくもあり、面談の予定を入れた。若者世代にメッセージをというなら協力してもいい。しかし、どうやって運営費を捻出するのだろう。ネットの世界はどう動いているのかよく分からないところがある。(つづく)

それぞれのゆく年、くる年
2010/1/1

 年の暮れ、年明けはなにかと決まり事が多い。大掃除、年越しそば、おとそ、おせち、年賀状、初詣で。これをひとつひとつやると正月気分になってゆくような、やらないと気分が出ないような、決まり事とはそんなものだろう。とはいえ、世の中だんだん省略やズボラをするようになって、どの家も昔ほど型どおりの正月を迎えることはなくなってきた。

 私の家では、大掃除をする気はあるのだが、始めてしばらくすると面倒になり、毎年小掃除で終わる。キュッ、キュッと念入りに磨いてもそのうちどうせまた汚れるし、なにしろ寒くてかいがいしく働くには適当な季節ではない。もう少し暖かくなったら続きをやることにして、気がつくと夏になっている。

 年越しそばは、うどんではなく日本そばでなければならないが、そんなことにこだわっているとラーメンやスパゲッティで代用する家を見て絶句する。食い物が長けりゃ合格らしい。そこは崩しても、定番の紅白歌合戦を見ないと年が明けないという人がいるが、私はこの番組は好きではない。赤だろうが白だろうが、プロが大勢歌って、見る方はそれぞれの好みで聞くのに、どっちが勝ちもないだろう。仰々しく票を集めるのがわざとらしく、アホらしい。

 しかしそのあとの「ゆく年、くる年」ははずせない。雪深い山寺で鐘を撞く人、合掌する人、読経の声。午前零時でゴロンと年が変わるところを画面で見たい。昨年のように、風船を飛ばすイベントにアナウンサーが出てきて中継なんかしなくてよい。

 おせちは今どき、デパート、料理屋、ホテル、スーパー、コンビニ、生協、どこでも売っており、できあいのものを買って済ませる家が多い。ウチは購入品と自家製の複合で用意するが、家庭で作らなくなれば料理は伝承されない。いつかは手製のおせちも、かつての自家製みそやしょうゆ、漬け物と同じ絶滅の運命をたどることになりそうだ。近ごろは「正月だからといって特におせちということもない。ふだんと同じだよ」という愛想のない家もある。

 元日は朝から酒を飲み、おせちを食べてよい気分になっていると年賀状が届く。年に一度とはいうものの、これくらい紋切り型の挨拶もそうはない。謹賀新年、賀正、迎春、あけましておめでとうございます、昨年は大変お世話になりました、今年もどうぞよろしく、皆様のご健康とご多幸をお祈りします――これだけ類型化していれば「あけおめ、ことよろ」でも充分通じるわけだ。それでも来ればうれしいが、だんだんメールに変わりつつあり、郵便局が焦っている。

 酔いが覚めたら初詣で。大きな神社はごったがえすから、私は近所ですます。すますというより「初詣では氏神様へ」と訴える弱小神社に協力の姿勢。初詣で客を大手に取られたのでは、あとは結婚式か上棟式の出張ぐらいしか仕事がなさそうなので、神主の生計も苦しかろう。100円入れて家内安全、商売繁盛。この2つでよいが、もっと頼んでもおさい銭の割増請求はないので、娘の合格祈願、ついでに五穀豊穣、鎮護国家。

 人の世に悩みや不安は尽きない。尽きないから「今年こそ」の思いが募るのも人情だが、本当は神頼みより、悩みや不安がいつまでも尽きないのが人生、と達観した方が分かりが早い。厄介あっての生きる実感