週刊コラムニスト(過去ログ2017年)

燗酒の季節
2017/12/26

白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり 若山牧水

秋の夜は冷や酒でもよいが、こう寒くなるとやはり燗酒が恋しい。

世界各地の酒は常温か冷やして飲むのが通例だが、温めて飲むのは日本酒独特で、ほかには焼酎、紹興酒ぐらいか。冷えた体が温まるし、香りも匂い立つ。寒い国のウオッカを温めないのはなぜだろう。度数が強くて火が点く怖れがあるからなのか。

牧水の歌はひとり酒だろう。語りかける相手もなく、ひとり黙然と、来し方行く末に思いを巡らしながら、しみじみと酒を味わう。なんだか八代亜紀の「舟歌」風になってきた。こういうときは湯飲みなど大振りの酒器でなく、ちゃんと銚子から手酌で杯に注いで飲むのがよい。大勢で飲むときは陽気でにぎやかだったらよいが、ひとりのときは雰囲気が大事だ。

あの歌では「お酒は温(ぬる)めの燗がいい」と言っているが、私はやや熱めにする。特に理由はないが、かなりの熱燗が好きだった父親の影響だろう。

料理屋へ行って燗酒を注文すると、1種類しかなかったりする。冷酒なら銘柄をいろいろ取り揃えているのに、燗酒は尋ねないと銘柄も分からない。その1種類が甘口だとがっかりする。甘口は口に残って、せっかくの料理の味を損なう。酒は酒としてちゃんと主張がなければならないが、料理とけんかしたのでは台無しになる。甘口、辛口は人の好みだろうが、だから好みを選べない店には、どういうつもりなんだと文句を言いたくなる。

主張と言えば、おとなしくなったのが焼酎で、昔に比べるとずいぶんクセがなくなった。乙類の麦、芋、米、そば、黒糖、どれを飲んでも大差ない。かつては九州人専用だった焼酎が、ブームで全国へ客層が広がるに連れ、製造元がクセを抜いてだれにも飲みやすく変えていったように思う。

冷酒も焼酎も、銘柄を増やして置いておけば客が喜ぶと思うのは、基本を忘れたポピュリズムでなくてなんだ。いやいや、騒いではいけない。「酒はしづかに飲むべかりけり」だった。

その後のコジロー
2017/12/20

 
コジローに糖尿病治療を始めて4カ月近くになる。家で朝晩の12時間おきにインスリンの注射を打っている。ときどき動物病院に連れて預け、血糖値を測ってもらい、注射液を増やしたり減らしたりする。一進一退で回復しない。

治ることはないのだろう。15歳の老齢で、目は白内障、耳もあまりは聞こえないようだ。足腰も弱ってよろけたり転んだりする。食欲があるのが救いだ。うずくまって寝ていることが多いが、20分ぐらいの散歩はできる。

寒さが厳しくなってきたので、なるべく暖かい室内に置いてやりたいが、水分補給をしながら座敷や廊下、リビングでオシッコをするから困る。夜はさすがに家に入れ、寝る前に一度外に出してオシッコをさせ、室内のケージで寝かせるが、昼間るすにするときは家の裏手に出す。引っ越してから犬を放すには北向きのスペースしかなく、日当たりが悪くて体にこたえるだろう。犬小屋を用意して毛布を敷いているが、クマゴローが独占して、コジローは入りたがらない。

2匹をかわいがっていた娘が、年末には一時帰国するので、それには間に合うが、遅かれ早かれいずれ時間の問題だろう。忍び寄る死の影を、犬はどう感じているのか。

よい一生だったとか、まだやり残したことがあるとか、死ぬのが怖い、あの世はどんなところかとか――まさかそんなことまで思っていないだろうが、象は自らの死を察知して死地に姿を隠すとも言われる。犬は人間の3歳ぐらいの知恵があると聞いたから、最近どうも調子が悪いなぐらいは感じているに違いない。糖尿病が進行すると精神異常を起こすこともある、と獣医師から聞いた。

看護する私のほうも、朝晩の注射、寒さ対策、食欲チェック、オシッコ配慮など長期化するとだんだん気疲れがしてくる。忘年会に出かけるとちょうどよい気晴らしになるが、酒を飲んでいてもついどうしているか気になる。

相手が人間の場合ならどんなに大変だろうと思う。親の介護でそういう話をよく聞くが、大変でも、生きている間にできるだけのことをするのが、死んでからできなかったと後悔するよりも、心残りがなくていいだろう。


やがて引き際が
2017/12/13

 
歳のせいか、近ごろどうも体力、気力、知力が、以前と同じようには働かないな、と感じている。特に記憶力と注意力がいけない。

新聞を読もうと思ってメガネがない。ありそうなところを捜して見つからない。家の中にはあるはずだが、どこに置いたか記憶をたどってもさっぱり思い出せない。なにか必要があってメガネをはずしたはずだが、そっちの用に気を取られて、なにげなく置いたメガネには注意が行っていない。

スマホはいつもポケットの中か身近に置いているが、ときどき忽然と消える。通話とメール、ラインぐらいしか使わないが、それでもないと外部との連絡が遮断されるからあわてる。だれの電話番号もアドレスも覚えていない。便利な機器は、アクシデントがあるとお手上げになる。

財布を忘れて出かけ、目的地に着いてから気がつく。床屋で1回、コンビ二で2回、ゴルフ練習場で1回。ゴルフ場では、クラブを入れたバッグを残したまま手ぶらで帰ったこともある。

だれでもそういうことはあるよ、歳のせいじゃない、とたいていの人は私の嘆きをなだめてくれるが、どう見てもこれはぼんやりしていて頭も気も回っていない。認知症でなくても、加齢とともに脳はだんだん縮んで衰えるそうだ。

他人任せで、ぼーっと老後を過ごしているわけではない。頭はむしろよく使っているほうだ。あれがすんだらこれをやって、と公私のスケジュールを日々組んで、忘れないようにメモし、すませたら線を引いて消すようにしている。ところが、そのメモをなくす。

これは大事と、きちんとしまっておいたものが、さてどこにしまったか思い出せないこともある。自分で自分が情けなく、腹立たしい。

毎年年度初めに、全社員を集めて新年度方針や課題を説明している。原稿を用意して頭に入れて話す時間が昔1時間、今40分。なかなか覚えきれない。2時間近い講演をしたこともあるのに。要するに、やろうとすることに頭がついてゆけないのだ。昔はやれた。

体力も落ち、仕事で疲れも出るので、むりをしないで長持ちをさせようと、仕事を減らした。以前は、仕事を辞めたらきっとやることがなくなって困るから、ずっと働くのがいいと思っていた。負担を軽くしてみたら、会社に来てもその分ヒマができてやはり困る。

そろそろ引き際を考えておかないと老害になるが、後継がまだ若いので、もう少し粘る。いよいよ限界が来て、頼りなくなった自分に自分で用なし宣言を下す時は、どんな気分になるのだろう。


お歳暮の痛しかゆし
2017/12/06

 
お歳暮のシーズンになり、デパート、スーパー、老舗名店は書き入れ時に突入した。贈答品を西へ東へ届ける運送会社も俄然忙しくなる。普段と違う季節特定の儀礼や慣わしは、消費を刺激して経済効果を上げる。

お世話になったあの方に、感謝の気持ちを形にして贈り物――他人に気を遣われて悪い気のする人はいないが、「供応は懐柔策」と抵抗を感じる四角四面の人もいる。「心ばかりのもの」「ほんの気持ちのしるし」というなら、お気持ちだけ受け取っておけばよい。

そんな堅物でも、前から欲しかったものや、これには目がないという大好物が的中して届くと、日ごろの主義主張がぐらりと揺らぐこともあろう。でもそんなことは滅多にない。

昔、昔の話。商用で台湾によく出張する人から、父が名物のカラスミをもらい、大してうまくはなかったが、外交辞令で「いやあ、絶品ですな。堪能しました」とお礼を言ったら、その後出張のたびに贈ってくれて持て余し、心にもないことを大げさに言うものじゃないと母に叱られた。かといって、せっかくの厚意をうまくないとも言えない。

こういうことは私も経験がある。お中元、お歳暮の時期になると、息子の嫁の実家からカートン入りの缶ビールが、毎回贈られて来る。しかし私は、夏は焼酎の水割り、冬は日本酒の熱燗が主で、ビールやワインは気が向いたときしか飲まない。それに貰いっぱなしでは礼儀を欠くから、こっちからもなにか贈らなければ具合悪いが、手配が面倒だ。

相手が親戚でもあり、まあお互い杓子定規なことはなしにして、と息子を通じてやんわりと断ったのだが、相手は律儀な人で、そんなわけにはゆかない、とやめてくれない。そこで贈ってくれるなら、焼酎や日本酒がいい、とこれも息子を通じて打ち明けたのだが、なぜだか相変わらす缶ビールが届く。もうそれ以上は言えない。ビールは妻や別の息子が遠慮なくぐいぐい空ける。それを傍で見ながら、焼酎や日本酒だったらいいのにな、とどこか気に入らない。

ある取り引き先からは、夏は梅干、冬は柿が、これも毎年判で押したように同じものが届く。両方とも存在感どっしりの上級品だが、梅干は塩分に気をつけたいし、柿は、家の庭で取れる柿の方が小ぶりで見た目はよくないが、味は優る。

もらい物に文句をつけるのは礼を失するが、ほしい物は身銭を切って買うのが間違いない。大事に使い、味わい、手に入れた満足感が広がる。

他人に贈ったお歳暮は、その後どんな運命をたどるのか。贈り物をするのは結構むずかしいことだ。


めげても、めげなくても
2017/11/30

 
これまで生きてきて、苦と楽とどっちが多いか、と2人の男に聞いてみた。両人の実感はいずれも「苦が7、楽が3ってとこかな」。

苦の方がずっと多いが、さりとてこれといって対策も修正もままならず、せいぜい気の持ちようを心掛けながら、なりゆきまかせで行くしかない。

思いどおりにならない人生は、求めるものが過分なのか、世の中が理不尽だからなのか。人の不幸は蜜の味、というのも、ひどく不運、不遇な人に同情の念を持ちつつ、あの人に比べれば自分はまだマシと、ひそかに慰められる気持ちになるからなのかもしれない。

他人を自分と比べて見下したり、うらやましがったりするのは、卑しい人間のすることだ。自分の選んだ道、あるいは与えられた道であっても、そしてその道が思うに任せぬ苦難続きであったとしても、強い気持ちで自分流を貫き、生き方を全うする――そうできるとよい。

しかし、妥協なく信条や信念を押し通そうとすると、周囲との人間関係もややこしくなって、ますます生きにくくなる。特にごく身近な人との摩擦やすれ違いがあると、ダメージが大きい。やっかいな話だ。

私はストレス耐性がかなり強い方だと思うが、ときどき生きているのが面倒くさくなって、死ねばこの世のやっかいごとから全部解放されて、楽になるのにな、と思わぬでもない。しかしビルの屋上から飛び下りるのは痛かろう。首を吊るのは苦しかろう。死ぬのも楽ではない。

「バカバカしい人生よりバカバカしいひとときがいい」という黒沢年雄の虚無的、刹那的、享楽的な歌と、がんの宣告を受け、目が覚めたように余命を使命達成に賭ける区役所の課長の姿を描いた黒澤明のまっすぐな映画「生きる」が頭の中で交錯する。

「自分の方がまだマシ」とは逆に「自分だけではない。何事もないような顔に見えて、なかなかどうして他人もまた、何事もないわけがない」と思ったほうが気が楽になる。

何事もないような顔といえば、タヌキと評された徳川家康の遺訓を思い出す。「人の一生は重荷を負(おひ)て遠き道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし(後略)」

なるほど大した達観だ。


白鵬の思い上がり
2017/11/23


大相撲九州場所11日目の取り組みで、嘉風に敗れた白鵬が、立ち合い不成立だと土俵下で抗議を続け、嘉風の勝ち名乗りを妨げる態度を取った。

立ち合いは、嘉風が先に両手を付き、後から白鵬が両手を付いて左手で相手の頬を張っているから成立している。組んだ後、明らかに自分から力を抜き、「待った」で仕切り直しと判断したようだが、判断するのは行司で、力士ではない。白鵬がそれを知らないわけはない。ヘボ将棋ならそんな「待った」もあろうが。

白鵬はもうひとつ基本ルールに違反を重ねた。勝敗の判定に異議、つまり「物言い」を唱えられるのは審判と控え力士だけで、対戦した本人にはない。それがルールだ。

スポーツによっては、テニスのようにプレーヤー本人にボールの落下点がラインの内か外かのビデオ判定を求める権利を認めている。バレーボールでは監督に認めている。野球でも認めていて、執拗な抗議や暴言、暴行を働くと退場処分になる。

サッカーではイエローカード、レッドカードに抗議しても覆らない。柔道では、シドニーオリンピック100キロ超級の決勝戦で大誤審があり、篠原選手が金メダルを取りそこなった。試合後、日本選手団が猛抗議したが、試合後の抗議は受け付けないのがルールだった。篠原は不満を漏らさず潔かった。

白鵬の執拗な抗議は、当然ながらルールをよく知った上での言動だろう。それは何を物語るのか。

朝青龍が全盛だったころ、後を追って上って来た白鵬は、やんちゃで悪役キャラの朝青龍とは対照的に、双葉山に学び、大鵬を師と仰ぎ、相撲道をわきまえ、礼儀正しく好感が持てた。

変わり始めたのは優勝回数で大鵬を抜き歴代トップに立つ前後のころからだ。土俵を割った相手にダメ押しをしたり、勝ち名乗りを受けたあと、どんなもんだの表情で、賞金袋を掴んだ手をことさらに振ってみたりする。

ダントツの大横綱、白鵬一強のこの俺なら、特別にルールを曲げても相撲協会は気を遣って道を空ける――そう思っているとすれば、精進してきた過去を自ら台無しにすることになる。


年賀状異変
2017/11/21


断捨離をしていたら未使用の年賀ハガキが数年分出てきた。未使用といってもイラストと定型のあいさつ文が印刷してあり、あて名の入っているものもある。用意を整え、一筆手書きで書き加えて出すつもりで、出さなかったのだ。こういうことをするのは妻しかいない。

年末落ち着いてからとか、除夜の鐘を聞きながらとか、年が明けないと気分が出ないとか、先延ばしにしているうちに松が取れ、今年はまあいいかというパターンを毎年のように繰り返している。見ていてアホらしいから、私は最近、自分の分しか年賀ハガキを買ってこない。

使わなければムダになるからといって、数年前までの年賀ハガキを来年用にリユースするわけにもゆかない。郵便局に持ってゆけば手数料を引いて官製ハガキか切手に換えてくれるが、そんなにたくさんもらっても必要ない。近ごろはメールかラインでたいていの用が足せるし、その方が速い。官製ハガキもたくさん残っていて、これはもっと以前の年賀ハガキを換えた分だった。

そうだ、古い年賀ハガキを新しい年賀ハガキに換えてもらえばいいんだ、と思いつき、郵便局に行ったら、アウト。年賀ハガキには換えられない。はすれのお年玉くじを換えて、もう一度当たりくじのチャンスがあるって、そんなことを考える人もいないだろうが、理屈ではそうなる。

しかたがない、来年用は官製ハガキに「年賀」と朱書きして間に合わせようと思っていたら、官製ハガキを持ち込めば年賀ハガキに換えて印刷してくれるという印刷屋が見つかった。それは渡りに船というものだ。

ハガキは6月に52円から62円に値上がりしたが、来年の年賀状は1月7日までに投函すれば52円で扱う。郵便局がこんな変則技を使う背景には、年賀状の需要が年々減っているからなのか。スマホ、ラインの代用のほか、型通りの儀礼的な意味の強い年賀状が、昔ほどは重視されなくなっている。

売上が減って困るのは印刷屋も同じ。サービスをプラスして注文確保なのか、あるいは62円の官製ハガキを受け取って、52円の年賀ハガキを渡せば、手元の官製ハガキを利用して寒中見舞いや引っ越し通知の受注時に使って、利益確保につながるのか。

来年の年賀ハガキ事情は、推測を重ねるたびにわけが分からなくなる。


人間なのか、ロボットなのか
2017/11/15
 
北隣りの家に移転した際、システムキッチンを移設したが、使い始めると組み込みの食洗機が少々水漏れするので、キッチンメーカーから食洗機メーカーに修理の依頼をしてもらった。

翌日早速食洗機メーカーから連絡があり、土曜日に来てもらうことになった。何時かと聞くと、当日の午前9時から10時の間に電話して、訪問時間を連絡すると言う。何時になるか分からなければ、その日は1日中待機していなくてはならない。

自分達の都合でスケジュールを決めるなよ、と思っていたら、次に「修理費用はお客様負担でと、キッチンメーカーのお話ですがよろしいですか」という。「経年劣化ならこちら持ちだが、移設時のメーカーによる不具合なら相手持ちにすべきで、修理前に相手が勝手に決めるのはおかしい」と文句を言った。

「ではあす9時から10時の間にご連絡しますが、電話はケータイ、家(いえ)電どちらにおかけしましょう」。どちらでもよい。ひとつかけて出なければ、もうひとつにかけてみればよい。そんなこといちいち聞くなと思う。

相手は若い女性のようで、話し方もやり取りもマニュアルどおりの紋切り型で、個別の状況に合わせた対応ができない。人間と話しているとはとても思えない。

最近、同じような経験がもう一度あった。テレビ、パソコン用の光ファイバーの移設依頼のとき、工事の日程が決まるのが1カ月後で、工事はそこから2、3週間後と言われ、耐震工事の工程や引っ越しのタイミングを、おたくの気長な配線日程に合わせるのは現実離れしている、とさんざん説明したが、“お知らせ嬢”は決まりどおりの応対から一歩も出なかった。

このときはあとでこちらから電話をかけ直して事情を話したら、あっさり特急処理が通った。今回も同様にかけ直し、午前中の来宅希望を受け付けた。苦情窓口には血の通った人間を配置しているらしい。

近ごろはAI(人工知能)ばやりで、このまま進むと人間の仕事が奪われるとか、人間がAIに使われるようになるとか、心配する声も出ているが、いやそれ以前に、人間のロボット化がすでに始まっている。

ハンバーガーとコーラを10数人分、大量に買い込んで持ち帰ろうとファーストフード店で注文したら、マニュアルどおり「こちらでお召し上がりですか」と聞かれたという笑い話は、ずいぶん前に聞いた。

さて食洗機。見てもらうと部品交換が必要だが、部品はすでに製造中止になっており、そもそも業績不振から家電部門を売り渡したあのメーカーのもので、食洗機は今はもう製造していない。3分ほど見て、点検料3780円を受け取って帰っていった。修理を取り次ぐ前に、あるいは修理に来る前に、無駄足かもの判断をしてほしかったが、ロボット化人間にそんな気配りを期待する方がむりな話だ。

デパートでお買い物
2017/11/10

私はデパートが嫌いで滅多に行かない。ものの溢れた売り場と人混みの中を歩いているだけで酔い、1時間もいるとすっかり疲れてしまうのだ。

靴とか衣類とか必要があるとしかたなく出かけるが、妻の運転に身を任せ、店内では後から付いて行くだけで、用をすますとさっさと帰りたい。ところが妻のほうは、目指す売り場の途中でちょいちょい足が止まり、予定外の品をあれこれ物色し始めるから、なかなか目的地にたどりつかない。それが嫌で、しばらくは何年も行く機会がなかった。

しかし、手持ちのスーツがだんだんくたびれてきて数も減り、数着を使い回しするのも都合が悪くなったので、先日の日曜日、重い腰を上げる決心をした。さっと決めて、さっと帰りたいので、1人で行って開店と同時に入り、2着選んでわき目も振らず帰る計画を立てた。

ところがまず駐車場でつまづいた。自分の運転で行ったことがないので、あらかじめ地図で確かめておいたのに、うっかり通り越し、繁華街をぐるぐる戻るのも面倒なので、別の駐車場に入れた。これぐらいは想定内。

5階の売り場に進むと、ブランドごとにずらずらと10店あまりが連なっているが、そういうことにはとんと疎くて、昔ながらのダーバンかバーバリーぐらいしがなじみがない。こんなにたくさんあったのでは、店を絞るのも大変だが、まだ客足もまばらで通りかかる店ごとに店員がこっちに眼(ガン)付けする。相手エリアに足を踏み入れると、キャバクラの客引きみたいにつかまりそうなので、遠めに一巡して3店舗に目星をつけた。

さて各店で2着ずつ選んで、比べるためにもう一度回ったのだが、2店目がどこだったか忘れてまごまごした。私の方向音痴は死ぬまで治らない。

1着は決まったが、もう1着が決まらない。面倒なので、接客していた店員が着ていたスーツと同じので間に合わせることにした。彼はスタイルがよいのでよく似合うが、私が着てどうだか分からない。とは思ったが、衣類は暑さ寒さをしのぐのが基本と考えれば、あとは大した問題ではない。

さっと決めたつもりだが、寸法直しなどもあって、結局1時間あまりかかった。ファッションとかおしゃれとか言い出すととても面倒な世界が、私の知らないところにあるようだ。

>続・断捨離奮闘記
2017/10/16
 
このところプライベートでは犬の看護と耐震工事、オフィシャルでは半期の業務見直しやプロジェクトの評価が重なって、ブログに6週間のブランクができてしまった。

このうち耐震工事がほぼ終わり、少しは先の目鼻がつくと思ったが、とんでもない、工事のため一時預かりにしていた家の家具やダンボールが戻ってきた上に、南隣りの現在の住まいの断捨離をして、残したものを北に運んで配置しなければならない。南の家は取り壊すので、空っぽにして解体業者を待つ。

移動もいっぺんにできればよいが、本体工事がずれ込んだため、システムキッチンが先行して給水が間に合わない、水道が通っても引っ越しが遅れるなどちぐはぐになり、しばらくは毎度の外食で嫌気がさした。

2度目の断捨離は1度目とは様相を異にしていた。1度目は物持ちがよすぎて難儀をしたが、今度は整理管理の悪さが行く手を阻んだ。

納戸にはあれやこれやが山と詰まれ、分け入ろうにも通路も塞いで踏み込めない。手前から順に手をつけ、半ばから先は25年近く前の引っ越しで運び込んだまま眠っていたものがつぎつぎと現れた。

妻には「これじゃあ納戸でなく、とりあえず放り込む“蹴込み部屋”だよ」と何度も注意を促してきたが、収納スペースが広いと、なんでも詰め込めるからこうなってしまう。倉庫が大きいとつい死蔵在庫が増える企業とよく似ている。

4半世紀の間、用なく困らなかったものは、大胆に捨ててもこの先支障ない。これでいったんすっきりするが、安心するのはまだ早い。移った先で油断をすればまた元のモクアミになる。

ミニマリストになるのも楽ではない。これからは年1回、寒さ厳しい年末ではなくできれば気候のよい春秋の2回、気分よく家財の点検を敢行し、不要になったものは都度処分することにしよう。継続使用や予備品は場所を決めて把握し、重複購入を防ぐ。

ものを増やさない一番簡単な方法は余分なものを買わないことだ。なんだかトヨタ生産方式みたいになってきた。

愛犬看護
2017/09/07
 
コジローが左側に偏りながらヨタヨタ歩くので、どこか具合が悪いのかと、動物病院に連れて行ったのが6月中旬。医師の見立ては、歳も歳ですしね、特にどこかがというわけでないので、少しようすを見ましょう、ということだった。

コジローは15歳、人間で言えば後期高齢者だから、そんなものかとひとまず安心した。

ひと月ほどして今度は食欲を失い、見るからに元気がない。昼間は庭に出してあり、日陰で寝そべっているが、連日の暑さにやられたのかもしれない。さっそくまた病院へ。同じ医師の診断で、体温は正常、熱中症の心配はない、と帰された。

水をよく飲むので、なるべく涼しい部屋に入れてやり、給水にも気をつけていたが、8月下旬になって、食べたものを戻すようになり、室内でオシッコの粗相をするようになった。そのたびに雑巾で始末をするが、オシッコが妙にねっとりしている。

そこでまた病院へ。前の医師と違う副院長が見るなり、以前のコジローとはずいぶん違う、預かって検査しますと言うので、即入院となった。

血液検査とエコーの検査の結果、糖尿病と肝臓の腫瘍を併発、食べ物を戻すのは胃の出口を腫瘍が圧迫していると診断された。血糖値が600以上あり、基準値上限の125を大きく超えている。インスリンを注射して300に下げたが、この先、容態が急変することもあると言われ、苦しむようなら安楽死もと考えが浮かんだ。もっと早く見つけてくれればと、前の医者に文句も言いたいところだが、犬は自分で症状を説明できないし、健康保険が利かず診療費が高額になるので、そこまでしなくてもと思ったのかもしれない。

ひと晩預け、翌日引き取りに行くと、前日より元気になっている。自宅で12時間ごとにインスリン注射を続けることになり、薬剤と注射針一式を受け取った。まず血糖値、腫瘍は後回しの方針だが、実際のところ老犬に腫瘍の除去手術はムリで方法がない。

この話をアメリカに戻っている娘に伝えると、すぐにも帰国したいと言い出した。新学期のガイダンスが始まるので、合い間を縫って1日、2日のとんぼ返りになる。コジローを一番かわいがっていたのが娘で、気持ちは分かるが、こういうときにドタバタするのはよくない。コジローのようすを見ながら知らせるので、あわてず帰国のタイミングを計るよう落ち着かせた。とはいえ、いつまで大丈夫という保証はない。

私は両親、兄姉の死に目に一度も立ち会っていない。事情はそれぞれ違うが、ひとり残された今は後悔が立つ。相手は犬でも、娘にとってはわが子のようなものだから気持ちは分かる。

翌週、病院で血糖値を測ると150に下がっていた。注射が効いているようだ。歩行もしっかりしてきた。腫瘍に大きな変化はなく、進行が遅いか、良性の可能性もあるというので希望が出てきた。

9月下旬か、11月のサンクス・ギビング・デイかと延ばしながら、年末年始の冬休みならゆっくりできるけどな、などと娘にメールを打つ。注射は命綱。そうとは知らずコジローは、準備を始めると察知して逃げ出そうとする。コラッ、ちょっとガマンしろ、透析している人なんかもっと大変なんだぞ、と叱っても、犬には分からない。

悪戦苦闘は長期戦の気配。よいような、大変なような。

窮地が変革を生む
2017/08/30
 
それまでの管理部は、社内でも最も陣容が安定した部門だった。12人の組織に部長1人、課長が3人。部長は、新工場の立ち上げや現地法人の撤退、社外株主からの株式回収、金庫株の導入などを手がけて実績を上げ、45歳にして経営の知恵袋、懐刀の信頼を得て、取締役就任が内定していた。

しかし3年半前に心筋梗塞で突然の他界。生還もなにも、手の打ちようがなかった。
決算日が2カ月半後に迫っていた。次年度の予算編成も始まっていた。数字をまとめ上げる作業のすべてが経理課長に託された。

課長は夜の10時、11時、あるいは日付の変わるまで仕事の処理にかじりついた。「君が倒れたら、この会社はどうなる。遅くとも8時までには帰ってくれ」と私は再三注意したが、彼はやめようとしなかった。

危機を短期で乗り切り、しかし以前と同じようには戻らない。5カ年計画の策定も、全社横断編成チームに加え、自前でなんとか作り上げたものの、次の強化策を打ち出す時期に入っていた。

その矢先、経理課長から辞表が出た。母親の認知症が悪化し、危うく火事を起こしかけた騒動もあり、目が離せなくなったと言う。奥さんが付いているものの、いざというときすぐに自宅に戻れる至近の職場に転職したいと。

困ったことになったと思ったが、彼の家庭の事情も深刻で、慰留は難しい。介護に行き詰まり、思いつめて無理心中や介護殺人に行き着いたニュースが私の頭に浮かんだ。受理するしかなかった。

経理に残るのは一般職が3人。総務課長と購買・情報課長はいるがそれぞれ専任化しており、経理財務は門外漢で経験もない。

空いた穴は、キャリアのある人材を中途採用することになるが、これが案外難しく、いきなりの管理職採用は、今まであまり成功していない。社風も業務の前提条件も進め方も求めるマインドも違う。とりわけ大手から来た人は、ほとんど見掛け倒しだった。

まず業務内容の現状把握と、社員との人間関係作り。なじんでもらいながら力量発揮の短期目標、長期目標を見せる。うまく行っても5年はかかる。

いるかいないか分からない人をあてもなく待っているより、すぐに始めることは何か。穴を埋めるものがいなければ自分で埋めるしかない。私は財務分析の連続セミナーに参加し、夏休みは管理会計の本を買い込んで取り組んだ。

一方で管理部の合同ミーティングを定例で始めた。課と課に互換性を持たせて人事に流動性を引き起こすためだ。もともと管理部だけがこの弱点をはらんでいた。

その後、課長候補の採用が決まった。勝負はこれからだ。

70の手習い
2017/08/23

振り替えで夏休みを取ったので、会社の夏季休暇はずっと自宅で「管理会計の基本」(千賀秀信著、日本実業出版社刊)という本に取り組むことにした。

私はもともと数字に弱い。小学校のクラス委員で会計の係りにされたとき、ちょいちょい数字が合わずに苦労した。数字なんてものは大づかみに大体合っていればいいという主義なので、経理マンが合計額に1円でも狂いが出れば、合うまで何度でもやり直すと聞いたときは、大変なんだねと思った。金額の大小ではなく、どこかに間違いがあれば全体の信用性がなくなるということだそうで、そりゃそうだねぐらいは理解できた。

その私がこの歳で、いまさら一から財務分析の勉強をやり直すというのには、深いわけがあるのだが、それはさておき、読んでみると所々面白い話が載っている。

たとえばファーストフード店でハンバーガーとフライドポテト、コーヒーのバリューセットを注文すると、単品で合計するより安くてトクをした気持ちになる。パソコンに初期設定サービスがついていると、そりゃ手間いらずでご親切にと思う。それが管理会計で言うと「限界利益率の高い商品やサービスをセット販売することで……固定費が変化しなければ損益分岐点の売上高は下がる」ことになる。設問を解いてみるとたしかにそうなる。

ホテルのコーヒーは喫茶店と比べてバカ高いが、材料費など知れたもので、大差があるわけではない。これはホテルの豪華な設備、グレードの高い従業員の接客サービス、ブランド価値など付加価値を生み出すために減価償却費、教育訓練費、人件費などの固定費をかけて顧客満足を得る企業戦略の結果。

手洗い洗車は機械洗車の倍以上するが、その意味はまた違う。洗車の人が、洗車の間は他のサービスを行うことができないので、機会損失が生まれる。つまり手洗い洗車には機会原価なるものが乗って来るというわけ。

営業キャッシュフローを見るときに、売上債権の増加を利益から差し引くことは知っていたが、読みながら、昔見たスナックの壁の貼り紙を思い出した。「ツケにしたいはヤマヤマなれど、貸せばあなたが来なくなる」。飲み屋の強みは現金商売で、その日その日の日銭が入ること。ツケはつまり売上債権で、日銭が入らなければキャッシュフローが悪化し、下手をすれば貸し倒れになる。

この本は例を挙げながらの説明で分かりやすいが、設問を電卓片手に解いていると、だんだん頭の中が数字でいっぱいになる。パンクしそうになると、テレビをつけて「やすらぎの里」や「サワコの朝」、「ドキュメント72時間」の録画を見てひと息つく。最初のうちはそれでよいが、最終章の「戦略的意思決定に役立つ考え方」になると、かなり手ごわくなって息切れがし、(まあ、世の中そう計算どおりにはゆかないでしょう)などと自分を慰めてみたくなる。

こうした計数管理や財務分析と対極にあるのがKKD(勘、経験、度胸)で、最近は軽い扱いを受けるが、経営にはこれも必要でそうバカにしたものではない。

と言い訳しないで、よくできた本なので、座右の書にして使いこなせるようにしよう。これまで座右の書は「平家物語」と「歎異抄」だったのに。タバコが増えるわけだ。

一流との差
2017/08/15

会社の夏休みは8月のお盆の前後だが、私は7月末に振り替えて、東京港から北海道クルーズに出かけた。留学中の娘が1年ぶりに帰ってくるのに合わせた。

船旅は今度で3回目。函館、網走、利尻、小樽に寄稿するたびに半日程度のオプショナルツアーを選べるが、あとは船内で過ごす。列車や飛行機のように荷物を下げて移動したり、ホテルを渡り歩かずにすむのでラクチンだが、乗客が飽きないように船会社もいろいろと目先を変えて暇つぶしを用意している。

インストラクターのついたストレッチや甲板ウオーキング、フィットネス、あるいはウクレレ、チェス、社交ダンスの初心者教室などのほか、ショーや音楽のライブも毎夜用意される。

こうしたライブの出演者は、中には日本人もいるがイギリス、アメリカ、ロシアなど各国からのダンサーやミュージシャン、マジシャンで、去年見た顔もある。船会社と継続的に契約しているらしい。

芸能の世界で生き抜くには実力のほかに運もいる。若いうちの勝負だし、人気も移ろいやすく、将来が保証されているわけではない。それが分かっていてこの世界に飛び込むのは、歌や踊りが好きでたまらないというよほどの思いがあるのだろう。いくらがんばっても夢叶わず、消え去る人が大半の中、プロとして認められ、比較的安定して生計が立てられるのだから、なにはともあれその道の恵まれた成功者といえるのだろう。

ただ、だれもが知っている一流ではない。二流という言い方をするとして、一流まで行き着けないその差と、彼らの思いはどんなものなのか。のんびりと船旅を楽しんでいながら、暇に任せてついそういうことに思いを巡らせ始めるのが、私の悪いクセだ。

ディナーのあと、ラウンジの小ステージで5人編成のフィリピンのバンドがライブをやっていたので、試しに「ラ・マラゲーニア」をリクエストしてみた。この歌は、ずいぶん昔、紅白歌合戦でアイ・ジョージが歌ったラテン音楽で、久しぶりに聞いてなつかしかった。ただ、やはり情感を込めて歌い上げるアイ・ジョージの域には及ばなかった。

この話には続きがある。私がアイ・ジョージの話をすると、娘が早速スマホで調べ始めた。彼は小柄だが彫りの深い顔立ちで、ソンブレロがよく似合い、ギターを抱えて弾き鳴らしながら、スペイン語の歌を声量たっぷりに歌っていた。私はずっとメキシコかどこかの南米系の人だと思っていたが、本名が石松譲治という日本人だった(ただし香港生まれでスペイン人の母とのハーフ)。石松の頭文字を取って芸名をアイ・ジョージにしたのだという。これが旅一番の驚きだった。

彼は現在、消息不明。ロサンゼルス在住ではとも言われている。

差別待遇
2017/07/13

犬の飯といえば、昔はどこの家も冷や飯にみそ汁のぶっかけだった。しかし、犬に食べさせるには味が濃すぎるし、ましてみそ汁の具がネギだったりすると、さらによくなかった。そんなことにはお構いなしだったが、近ごろは犬の健康にも配慮されて、栄養バランスの取れた薄味のドックフードが当たり前になった。空調の利いた室内で飼われることもあり、犬の寿命は随分延びたように思う。

ウチのコジローとクマゴローの親子は、昼間は庭に出し、夜は室内に入れる。食事はドライフードに缶詰のウエットフードをトッピングするのが常だが、毎度同じ献立では犬も飽きるだろうと、時にはトンコマと野菜を炒めたり、冷蔵庫の奥で干からびていたハムやチーズ、消費期限がはるかに越えたインスタントラーメンを与え、腹をこわしはしないかと心配でしばしようすを見守る。これは愛犬家なのか動物虐待なのか。一番喜ぶのはパンや飯に牛乳をかけてやるときだ。

コジローはもう14歳で、食欲は旺盛だが歯が弱ってきて、ゆっくり食べる。一方その子のクマゴローはろくに噛みもせずあっという間に飲み込んでしまう。自分の器が空になると、隣りで食べているコジローの分を横取りするので、見張っていなければならない。コラッと叱るといったん引くが、食欲には勝てず、またにじり寄ってくる。たくさんやれば収まるだろうが、好きなだけやるといくらでも食い、太りすぎるのでそうもできない。

ドライフードにも各種あって、いずれも1袋700円程度だが、容量が2キロ強から3キロ弱まである。半生タイプは割高で、犬の食いつきもよい。私は老犬向きの半生タイプを買うが、犬好きでもない妻は安くて量の多い方を買ってくる。そこで、2タイプ重なった時に、コジローに半生、クマゴローに固いほうをやってみたら、効果てきめんだった。

さすがのクマゴローも固くて飲み込めず、噛み下すのに時間がかかる。おまけに大してうまくないのか、時々よそ見をし、食べ残したりする。コジローは邪魔されずゆっくり完食できる。

この差別待遇はクマゴローにちょっと気の毒だし、本人もやがてあっちがうまいものを食っていると気がつくかもしれない。コジローはもう老い先短いし、なんといっても親を押しのけて横取りするのは犬の道に外れるだろう、と諭しても、儒教の教えが犬に通じるわけもない。

クマゴローが尻尾を振って愛嬌を振りまいてくると、どうも痛し痒しの思いになる。

断捨離奮闘記 2
2017/06/09

家の中は整然としていた。しかしタンスや戸棚、物入れを開けてみると、扉や引き出しの中から出てくるわ出てくるわ、隙間のないほどぎっしりと物が入っていた。戸棚の上にも天井に届くまで物が乗っている。

気に入った物があるとなんでもすぐに買いたがる父と、物を捨てないでなんでも仕舞っておく母の80年の集積を前に、私は何度も溜め息をついた。

南の家から移す物もあるから2軒分の全部は到底維持できない。まず食器。気に入ったもの、重ねて収納できて場所を取らないもの、5客揃ったものを優先して、あとは大胆に捨てる。と決心しても、母親に似たのか捨てるのが辛くなってストレスが高まる。

せめて子どもにと「ほしい物はなんでも持ってゆけ」と言っても、思ったほどはない。「遠慮するな」と焚きつけても「場所がない」と反応が薄い。金の入ったしゃれたコーヒーカップひと揃いは「チンできないしね」。マグカップの方がいいらしい。それも分かる。

残すものは割れないように1枚、1客ずつプチプチにくるんでダンボールに詰めなければならないから、手間がかかる。こんなことしていたら着工に間に合わない。見覚えのある懐かしい食器も出てくる。捨てようか残そうか情けない気持ちになる。

引き出物や記念品はたいていロクでもない。しかしお祝いか何かで貰った手前、捨てるのも気がひけて死蔵の運命になっている。バカチョンカメラもたくさん出てきた。今はスマホの時代になって使い道がない。やかんが3つ、湯沸しジャーも4つ。買い換えたのなら古いのを捨てたらよさそうなものだが、きちんと箱に入れて取ってあった。今はもっと小型でしゃれたポットがある。箱はそのままゴミ袋に放り込んだのでは、角でゴミ袋が裂けたりかさ張るので、いちいちちぎったり潰したりしなければならない。

梅干を漬けたビンがいくつも出てくる。庭の梅の木に実がなると、母が毎年漬けていた。平成8年と記してあるものもある。試しに食べてみたが、ちょっとムリ。私が中学のときに使っていたアルミの弁当箱とも再会した。

母は鎌倉彫や書道、俳句、編み物などのけいこ事をやっていたからその材料や作品も残っている。私の友人に書道を習い始めた男がおり、手芸好きの奥さんもいるので、書道の道具や雁皮紙、教本に毛糸の玉をつけて、押し付けた。

父も絵や陶芸をやった形跡があるが、長くは続かなかったようだ。ヌード写真集がちょろちょろ出てくる。昔のだから迫力がない。

1時間も片付けるとうんざりして1時間休む。また喫煙の習慣が戻った。こんな調子だから、ゴールデンウイークが明けるまでの1カ月あまりでめどをつけたかったが、6月に入ってもまだ終わらない。床屋にも歯医者にも洗車にも犬の散歩にも行けない。

ゴミ袋の山を作りながら、人間の生活はどこまでムダが多いかとつくづく思う。飽食ばかりではない。衣も住も。たまらず、ミニマリストの元祖、鴨長明の「方丈記」を読み返して、心のバランスを取り戻す。

消費を刺激しないと経済が回らないのは分かっているが、こんな世の中、いずれは行き詰まる時が来るのだろう。(おわり)

断捨離奮闘記 1
2017/05/31

両親が暮らしていた北隣りの家が空き家になって3年半、どうしたものかあれこれ迷った挙句、南は子どもに渡し、北は自分で住むことにした。北の家は築80年、今どきの住宅に比べると居住性に劣り、老朽化している上に耐震補強も施さなければならないが、庭も含め今では復元の難しい造りで、自分が生まれ育った家でもあり、親の遺した物を目の前で潰す気にはとてもなれなかった。

できるだけ現状を残したまま、居住性と耐震性を上げてくれというのがそもそも矛盾しており、リフォーム会社とは契約が終わり、着工が迫ってもまだ決着がつかない。そのやりとりを続けながら、工事のための断捨離に取り掛かったが、これがまた大仕事になった。

私は物のあふれた生活が嫌いなので、この際、簡素ですっきり、必要最小限の物を残し、あとは捨てるのももったいないので、どこかでリユース、リサイクルしてもらえればと考えていた。そのつもりで、新聞折込のチラシに「高価買取」と謳ったあちこちの業者から選んで持ち込むと、上質の衣類が45リットルの袋に詰めて1山50円、海外旅行の折の免税品とおぼしき未開封のスコッチやブランデーが1本100円。

高価買取なんて書くなよと思ったが、まあそんなものかもしれない。それならタダでも使う人が見つかればいいからと、無料引き取りのリサイクル広場へ靴9足をダンボールに入れて運んだら、8足突き返された。善意のボランティア活動だと思ったら、なんのことはない無料で仕入れて売り物にする業者で、傷があると商品にならないと言う。「アフリカやアジアではハダシの人もたくさんいるんだよ」と捨てゼリフを吐きながら、なんで他人の商売のためにわざわざ広場に運び込ませるのかと納得がゆかない。

家具はさすがに持ち込めないので業者を呼んだら、1万2千円だの2万円だのと値が付く。買い取り代ではなく回収代としてこっちが払う代金だ。結構するんだね、と言ったら「市の粗大ゴミ回収サービスを頼むと安いですよ」と教えてくれた。

要するに、邪魔で処分に困っているんだろ、引き取ってやるよというのが、業者のスタンスらしい。限られた資源を大切にしましょうとか、エコライフなんて、誘い文句で言ってみるだけで、使い捨て時代に堂々と成り立つ商売のようだ。

軽い衣類や数の知れた洋酒や靴などの扱いはまだ序の口。両親が暮らした80年の間に溜まりに溜まった食器や本、電化製品、日用品、趣味の道具が山ほど控えている。こうなると業者なんか相手にしていられない。まず可燃ゴミの赤袋、資源ゴミの青袋を各100枚、不燃ゴミの緑袋を20枚、買い込んだ。(つづく)

今村復興相の政治感覚
2017/04/26

今年になって東京23区と武蔵野市、三鷹市でタクシーの初乗りが1キロ強で410円になった。それまで2キロまで730円だった。高齢者が増え、ちょっと近くの病院へ郵便局へ区役所へという時も、気軽に利用しやすくしたということなのか。

タクシードライバーからすればどうなのか。こまめにつぎつぎと稼げればよいが、主要駅前で長距離客狙いの長い列に付け、やっと自分の番になったら目と鼻の先だったというのでは、当てがはずれてがっかりするだろう。乗る方も「近くですみませんが」という気になる。

客なんだからそんな気は遣わなくていいんだと思う人もいる。メーターが大して上がっていないのに、小銭を数えるのが面倒で1万円札を出し「釣り」と言う人もいる。こういう客が続くと、タクシーは持ち合わせの釣り銭が底をつき、「細かいのありませんかね」なんて泣きつかねばならない。

コンビ二なんかでは逆に、レジで後ろの客が列を作っているのに、何百何十何円の小銭をもたもたと数えて手間取る人がいる。店員がレジを打っているうちに、財布に小銭がいくらあるか見て置けよと思うのは、性格がせっかちな人なのか。

せっかちな人はエスカレーターに乗ったときも、立ち止まらずにどんどん歩く。立ち止まるのが左の列、歩くのが右の列と暗黙のルールがある。ただしそれは関東、中部のルールで、関西では左右の列が逆になる。

どちらにせよなかなか合理的なルールだと思うが、最近は危険防止のためエスカレーターでは歩かないようにと呼びかけている。新ルールができてから歩く人はめっきり減ったが、立つのが依然として従来のルールのまま片側だけなので、2人並んで立てる幅の半分しか使われない。混んでいても残り半分は乗り口から降り口まで素通しになる。

だから今でも急ぐ人は空いた方を昇り降りできる。そういう人がいると思って、立ち止まる人は自分が道を塞ぐ羽目になるのがいやで気が引けるのだろう。

人は多かれ少なかれ他人に気配り、気遣いをしながら生活しているが、それが仕事のはずの復興相や復興政務官が無神経な発言を繰り返し、自分のクビが飛ぶまで気がつかないというのは、どう理解したらよいものか。

今回、今村復興相が、原発事故の自主避難者が帰郷できないのは「本人の責任」と発言の上、質問した記者にブチ切れたのに続いて、被災地が「東北でよかった」と言い放って辞任した半年前には、務台復興政務官が岩手の台風被害の視察で長靴を用意せず、おんぶされて水たまりを渡って批判された後に「長靴業界が儲かった」発言で辞任した。

ふたりがそれぞれ1度で懲りなかったのは、メディアに叩かれたのも勲章のうち、ちっとも堪(こた)えていません、むしろ全国で有名になったぐらいの強がりや照れ隠しもあって、わざわざ自分から2度目の発言をしたのだろう。

なぜそんな気持ちになれるのか。彼らにとっての関心事は大臣や政務官の“栄誉”ある経歴であって、復興担当であろうがなかろうが、なんでもよかったのだ。被災地に向き合い、過酷な状況に寄り添う気持ちなど端(はな)からない。就任時には、これでハクが付いた、次の選挙も楽になると、ほくそ笑んだことだろう。

失言ではない。心の底ならそう思って口にしたのだ。卑しい政治家が増えた。

ムリがある
2017/04/10

そういう呼び方をするのはおかしいな、とずっと以前から思っていた。「料理研究家」という肩書きだ。

テレビの料理番組に出てきて、「わけぎとなんとかの白和え」だとか「ミラノ風なんとかのなんとか添え」なんていうのを、段取りよくテキパキと、それでいて丁寧に教えてくれる人たちのことだ。

料理というのはたまに作るのは結構楽しいが、毎日となると面倒なものだ。1日3食なんてほんとに必要なのか、と思いながら、食べるという側に立てば楽しみのひとつなので2食に減らせない。近ごろはできあいのものがどこでも手に入るが、そうやって手を抜くと、食事の楽しさが失われて、空腹を満たすだけの味気ないものになる。

同じものを続けて食べるのもすぐに飽きる。あー、まったく、どうすりゃいいんだ、晩ご飯の献立が頭に浮かばない、という時、一度も会ったこともないのに助けてくれるのがこの人たちだ。

しかしそれなら、献立指導員、柔らかく言うならメニューアドバイザーかレシピインストラクターぐらいが適当で、料理研究家なんて仰々しい言い方はだれが始めたんだろうと思うのだ。

料理の研究家というものがあるとするならば、そもそも料理学という学問が成り立っていなければならない。研究テーマは、「古代エジプトの王がモロヘイアの原種を食したかどうかに関する実証的考察」「料理における味覚、視覚、嗅覚、聴覚の相関性――ウラル・アルタイ語族とインド・ヨーロッパ語族に見る相違点」「外部環境の変化が与える食の嗜好性への影響」といったようなもの。

料理はその日その場の生活ですぐに使われ、すぐに役に立つ徹頭徹尾実用のもので、研究家が何年もかけて労作をモノにし、学会で発表するようなものとは対極にある。この粗雑な言葉の使い方に、だれも違和感を持たないのかと思っていたら、いた。

平野レミは自分を「料理愛好家」と呼んでいる。

稀勢の里の「見えない力」
2017/03/28

サッカーや野球で決戦の大舞台というとき、詰め掛けたファンがテレビカメラの前で興奮気味に叫ぶ。「絶対勝ちます」「優勝します」

よくある情景だが、勝ちます、優勝しますって安請け合いするけど、お前がやるんかい、と性格が素直でない私は画面を見ながらいつも思う。

しかし、今度の稀勢の里の場合は、まさか2度勝って逆転優勝するとは、たいていの人が思わなかったのではないか。快進撃で12連勝した13日目、日馬富士の勢い一気の攻めに土俵下に転落して痛手を負い、苦痛で顔をゆがめたまましばらく動けなかったときは、翌日休場と思われた。

14日目、左肩から腕にかけてテープをぐるぐる巻きにして出場はしたものの、力なく鶴竜に押し出された。出るだけでも出なければと思ったのだろうか。それはファンのためなのか、自分で諦めきれないためなのか。私はこのとき初代若乃花の休場を思い出した。

若乃花は横綱を目前にした1957年の場所前、とてもかわいがっていた4歳の長男を事故で亡くした。ちゃんこ鍋を引っくり返して大やけどを負ったという。場所が始まると若乃花は愛児の名前を刻んだ数珠を持って場所入りし、鬼のような集中力を見せて12日目まで無敵の強さを見せつけた

ところが翌日、扁桃腺炎を発症し高熱に侵された。出場か休場か、相撲中継のラジオは気をもみながら何度もその話をした。本人がぎりぎりまで休場と言わなかったのだろう。結局若乃花は休場し、横綱昇進と優勝を逃した。

千秋楽、左腕が使えない稀勢の里の相手は、1差で先行する好調照ノ富士。本割りでもとても勝てないのに、2度続けて勝てるわけがない。まあ、出て負ければ自分なりに納得がいくだろう、怪我をひどくしないよう気をつけて、ぐらいにみんなが思ったのではないか。

この日、両親が観戦に来ていたがどんなつもりだったのだろう。苦労してここまで来たわが子が、なすところなく負けるのは見たくなかろうに。いや、負けても構わない、勝ち負けを超えて見守るのが親なんだ、と示したかったのか。まさか予約しておいた切符がもったいないと思ったのではないだろう。

本割で勝ったとき、オヤと思った。結構左が使えている。昨日よりはよさそうだ。プロレスラー並みの回復力なのか。それに執念で勝つ気になっている。でもなあ、いくらなんでも2度連続の奇跡はなあ、と思ったらその奇跡が起こった。スポーツにはこんなことが実際に起きる。稀勢の里はあとで「見えない力を感じた」とインタビューに答えている。見えない力とはなにか。

あえて分析するのも野暮だが、相手の照ノ富士にとって土俵は完全にアウェーだった。一方は19年ぶりの日本人新横綱、他方はその間、国技を独占してきたモンゴル勢の新勢力。しかも前日には立会いに変化して勝ちをせしめ、非難を浴びた。琴奨菊の大関復帰の望みを断ち切ったのだからなおさらだ。

手負いの横綱に非情の悪役が襲い掛かる、そんな雰囲気だったから、稀勢の里が勝ったときの場内はかつてないほどの異常な歓声に包まれた。

照ノ富士にも言い分はある。彼も大怪我を押して土俵を務め、しばらくは不本意な成績が続いていた。今場所だいぶ調子を戻したが、足の古傷はまだ治ってはいない。それに日本人はモンゴル勢の躍進が内心気に入らないだろうが、最近まで相撲人気を支えてきたのはモンゴル勢のおかげじゃないか。

ことほどさようにアウェーは厳しい。サッカーのアジア予選で日本がUAEを破った快挙もあるが、WBCで日本が全勝しアメリカへ行ってコロリと負けたのは、ホームとアウェーの違いを否定できない。

ま、照ノ富士には腐らずに、イスラム系難民が受ける迫害ほどではないと気を取り直してほしい。

耐震工事が始まる
2017/03/19

年度末はなにかと忙しい。決算見込みをつけ、景況を見ながら新年度の方針と予算を立てる。そして新年度式を迎えて発表する。

これが終わるとひと息つくところだが、今年はそうもいかない。自宅の耐震工事を始める。

この家は1936年の完成で、築81年のしろもの。私はこの家で生まれたが、大学進学を機に東京に移り、30年ほどして戻ってきた。このときは両親がこの家で暮らし、私は南側の空き地に家を建て、妻や子供と住んだ。

父が19年前に、母が3年半前に亡くなり、旧宅が空き家になった。人が住まねば傷みが進むし、防犯上も好ましくないので土地活用にいろいろ頭を巡らせたが、名案にたどり着かない。古民家風で庭も楽しめるよさを生かして料理屋に貸すのもよさそうだが、駐車場がない。昭和初期の家に駐車場は必要なかった。

取り壊して賃貸用住宅に建て替えることも考えたが、人口減少が進む中、すでに過剰供給になっているマンションをいまさら建てても、採算が合わないだろう。老人ホームならどうかと思ったが、これもすでに過当競争が始まっている。それに北側だけではスペースが足りない。南北全部だと私の住む家がなくなる。

経済性、合理性、将来性、いろいろ考えた末に決め手になったのは意外にも郷愁だった。家族5人で暮らしたあの家や庭には私の思い出が宿っている。その両親や兄姉はみんな亡くなって、今はもうだれもいない。

旧宅は使い勝手も悪く、住み心地から言えば今の家にいる方がずっとよい。それでも旧宅を自分の手で潰すのはどうにも忍びない。両親の遺した家でもある。

同郷だとか同窓だとか過去を重んじる人は多いが、私は過ぎ去ったことにはこだわりが少ない方だ。旅行にカメラ持参で行くこともない。あとで写真を見ながら思い出に浸ろうかという根性が未練がましいと思う。しかし生家は別だ。

耐震診断をし、屋根を軽くし、壁で補強して評点を上げ、ついでに老朽化したところを修理し、居住性を上げ、欲を言えばキリがないからこのあたりで、とリフォーム会社と打ち合わせた。耐震はどこまでならば絶対安心というわけでも、絶対倒壊するわけでもない。評点は目安に過ぎない。災害には運の方がものをいう。

工事の日程が決まったら、家財の整理をしなければならない。あっちの家もこっちの家も、無用の長物がたまっている。力仕事が苦手な私にはこれが今からストレスになっているが、思い切った断捨離をするよい機会となる。あまり殺風景になっても潤いをなくすが、老境に入ったら質素で慎ましく、すっきりシンプルライフが好ましい。

南の家は、すったもんだの挙句、息子が来ることで落着した。残る問題はあとひとつ。せっかく費用をかけて直すのだから、5年や10年で死んだのではもったいない。かといってそれ以上はくたびれる。重度の介護が必要になったら安楽死をしたい、とかねがね思っているぐらいだ。

まあもうちょっと妥協しても平均余命の15年が限度。そのあとはどうするのか、どうなるのか、死んだあとのことまで知らんがな。

堂々たるウソ
2017/03/06

事の真相や実態はほとんどバレバレなのに、言葉を操って右に左にかわし、ずるずる長引いてはっきりしない――そんなことばかりが続く。豊洲市場の土壌汚染、南スーダンの戦闘、共謀罪の範囲、森友学園の国有地払い下げ、総理夫人の公的活動。

まあ政治の世界では今に始まったことではないが、忘れた頃に起きる苦し紛れの一策ではなく、近ごろのように面の皮厚く日常的に繰り返されると、この国は、物は言い様でなんでもあり、一体どこまで行ってしまうのかと先が思いやられる。

いやいや次のステージはすでに他国であからさまになっている。

こうなるはずではなかったのに、イギリスがEUを離脱し、まさかのトランプがアメリカの大統領になった。事実に反するウソやハッタリでも、個人感情に訴えるものの方が、事実に勝って世論形成に強い影響を与える。これをポスト・トゥルースと名づけ、オックスフォード英語辞典が「2016年を象徴する言葉」に選んだ。トランプは就任後もこの手をやめようとしない。

事実でないことを「もうひとつの事実」として押し切るオルタナティブ・ファクトも流行語になり、稲田防衛相が戦闘を衝突にすり替えて、早速利用した。

さて、さらにその先はどうなるか。第3ステージともなると、大衆総動員の北朝鮮か、かつてのヒトラー、スターリン、ポルポトか。

ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳すのではなく、「大衆誘導主義」と呼んだ方が的確ではないか。掴みどころのないあいまいなウソから、勇ましく心地よいウソに発展し、逆らう者は黙らせ、やがて総動員へ持ち込む。

国民はそこまでバカではないと思わぬ方がよい。ナチスは当時世界で最も民主的なワイマール憲法の下で、巧みに政権を取った。

この国の現状は自民1強、いや安倍1強で、党内で逆らうものなく、連立与党の公明党は政権に恋々として党是のはずの平和主義がグズグズ、野党の民進党は対立軸を作りたいものの、電力労組を抱えた連合が怖くて党内まとまらず、脱原発の期限も示せない。権力が集中すると、周辺は敏感に反応して保身一色になる。

そして重点注意が、神社本庁や過去に生長の家で育ったメンバーらを中心に活動する日本会議。メディア、特にテレビではなぜか表立って取り上げないが、安倍政権とぴったり呼応して、戦前の神国日本への回帰を求め、全国に着々と根を広げている。神話上の人物で実在しない神武天皇が、再び万世一系の天皇の祖として蘇るのか。

壮大な虚構に基づく国家総動員、そして日本にもポスト・トゥルースが勝利する日が来るのか。


キレやすいのは老人だけか
2017/02/20

2016年版「犯罪白書」によると、65歳以上の犯罪は20年前に比べて殺人は2.5倍、強盗は8倍、傷害は9倍、暴行に至っては49倍の3808件にも上っているという。駅の係員や乗務員に対する暴力や、病院での医師、看護婦らへの暴言、暴力、セクハラ調査でも、同様な傾向が出ている。

ヤフーニュースは精神科医やアンガーマネジメントの専門家への取材に基づき、その要因をいくつか伝えている。第1に、老化に伴って脳の前頭葉が萎縮して機能が低下すると、感情を制御できなくなったり、判断力が衰えたりする。第2に、高齢になる人との関わりが薄れてくると、寂しさ、苦しさ、不安など鬱屈した気持ちが怒りを生みやすい。また、団塊の世代が会社人間から解放され社会的なタガが外れたのではとか、認知症による行動も指摘している。

何年か前に「暴走老人」という本が出版され、私も読んだ。内容はとんと覚えていないが、その後この傾向は鎮まるどころかより強まっているようだ。もともと少子高齢化がベースだから、なんであれ老人問題の全体に対する割合が増えるのは当然だが、自然増というような増え方ではない。若いころはバリバリで厳しかった人も、歳を取ると丸くなって穏やかになる、というのが従来のイメージだった。好々爺なんて言葉もあった。

ニュースの伝えるところももっともだが、私にはIT社会の出現で、老人が急激な新ルールへの変更についてゆけなくなったとともに、旧来ルールが通用しなくなったことにも大きな要因があるように思う。

ITは、世の中に劇的な利便性をもたらした。イギリスの産業革命にも比肩する大変革といってもよい。ところが一方で、あまりに膨大な情報を処理できるので、ひとたび漏洩、流出したら大変なことになる。そのリスクを回避するため当然、二重,三重のセキュリティがかけられる。人と人との対話の間に幾重にもシステム操作が介在し、機械に命令されてようやく人間にたどり着いたら、マニュアル通りにしか反応しない機械のような人間が出てきて、情報開示を拒否された経験は、本コラム1月13日付けの「どこがサービス業か」で書いた。相手に便利でもこっちにはろくでもないという話も昨年9月12日の「だれのための利便性か」で載せた。

社会が変貌するのは今に始まったことではない。魚屋や八百屋の対面販売がスーパーに変わり、レジの無人化も始まっている。「奥さん、安いよ、安いよ、買ってって」の掛け声がなくなり、客は人畜無害のBGMを背に無言で品選びと精算を済ます。もっと昔は納豆やシジミ、風鈴の行商が、独特の節回しで路地を売り歩いたのに、風情がなくなったねと嘆く声もあった。それはムリだ、今は路地もないし、アルミサッシの密閉窓で売り子の声も届かない。

ことが情緒の問題なら、懐かしむだけですむ。また、ITに不慣れな老人特有の問題なら、世代交代とともに解消する。しかし私にはもっと深刻な事態が暗示されているように思う。

IT化が進めば進むほど、人間関係は希薄になる。生まれたときからITに囲まれた世代は、それに戸惑うことはなくても、初めから人とのコミュニケーションが少ない環境に置かれる。人間関係がない社会は、そもそも社会と言えるのかどうか。精神科医が指摘するように、孤立がやがて怒りを呼び起こすのなら、これは当面の老人特有の問題ではなく、これから到来する社会の予兆ではないか。


強弁には強弁を
2017/02/02

トランプが無理難題を連発して、世界中を振り回している。言いたい放題、やりたい放題は3歳のわがまま駄々っ子にも似て、マンガチックでさえある。だが、超大国の大統領の言動となれば、笑ってもいられない。

当選したときは、選挙中のパフォーマンスがどこまで本気なのかと、各国の政府も企業もトランプの出方をしばし静観していた。しかし就任するや本気も本気、公約実行に猪突猛進し始めて、これじゃあまるで××に刃物だ。××というのは言いすぎだが、刃物と言うほどなまやさしいものでもない。

いまさらおさらいするまでもないが、TPPの永久離脱に始まり、メキシコとの国境に壁を建設してメキシコに負担させる、グアンタナモの水責め拷問を復活させると発言。中東とアフリカの7カ国からの入国拒否は大混乱を引き起こしており、エルサレムにアメリカ大使館を移転すれば、間違いなく泥沼の大戦争が始まる。

なりゆきを見守っていた各国も、さすがに見かねてドイツ、フランス、カナダ、イタリアなどの首脳や、米国内の司法省、国務省、国防省、フォードやGEなどの企業からも、批判や異論が出始めた。だがトランプに少しもへこむ気配はない。

日本を標的にしては、駐留米軍費用の100%負担を要求、いやなら駐留軍を引き揚げる、自動車メーカーには米国内生産増、雇用増だ、いやなら輸入車の関税引き上げだ、そして為替操作のナンクセ。

米国内外でトランプ批判が広がる中、国内ではあれほど多弁で強権的な安倍首相が、打って変わっておとなしい。日米同盟の重要性を確認し、などと相変わらず同じことを言っている。このへっぴり腰では10日に予定された首脳会談は心もとない。

ディール、取り引きというより強面(こわもて)の駆け引きが相手の得意技なら、こっちもその手でがんばったらどうか。

日本が負担している在日米軍経費は、思いやり予算の1848億円だけではない。基地周辺対策費・施設の借料、SACO関係費、米軍再編関係費、提供栃の賃料、基地交付金も合計して年間6700億円を超える。思いやり予算を始めた1978年は62億円だった。

当初に戻せとは言わないが、せめて他の同盟国の中でも高いドイツ並みに1700億円程度で駆け引きし、気に入らなければ米軍を引き揚げてもらえばよい。普天間も辺野古もオスプレイも地位協定も集団的自衛権の巻き添えもすっきり解決する。6700億円は専守防衛の軍備に回し、スイスのように自分の国は自分で守る。いつまでもアメリカ頼みでは、へっぴり腰で言いたいことも言えない。

1985年に30万台だった日本車の米国生産数は、今や385万台、関連産業の雇用者数は150万人に上るという。これをこっちが引き揚げれば同じ数の失業者が生まれるよと、彼の奇妙な髪型をちょんちょんとつついてみる。彼が右手の親指と人差し指で丸を作りながら演説するのは、おカネ、おカネと言いたいからなのか。それならアベノミクスが失敗しちゃったこっちも、左手で丸を作ってアピールする。

ことはそう簡単ではなかろうが、メキシコのペニャニエト大統領のように、いざとなったら会談を蹴るぐらいの気持ちを持たなければ、とても互角には戦えない。北方領土問題のときも、プーチンペースでいいようにされて終わったし、今度もやっぱりムリだろうな。


毎日、交通事故
2017/01/24

稀勢の里の初優勝が、大相撲初場所の話題を独占している。新入幕から13年目は史上2番目の遅さ、新大関から6年目は昭和になってから最も長く、腐らずによくがんばったねという以上に、日本出身力士として横綱になるのが、3代目若乃花以来19年ぶりというのだから、ヘエ、そうだったのと驚くような話だ。

相撲は織田信長も観戦した日本の国技だ、伝統ある神事でさえあると言いながら、朝青龍以後はずっとモンゴル勢に圧倒され続けて来た。主役が白鵬に代わってからも、あとに続くのは日馬富士、鶴竜で、この5年に限っても30場所中モンゴル勢が27回優勝している。

今回の異変、いや快挙に溜飲を下げた人には、どこかトランプ新大統領に喝采する白人の低所得者層と相通じる心情があるかもしれない。とりわけ朝青龍はしばしば問題を起こし、横綱としての品格を問われた。非難の気持ちは分かるが、勝てばいいんだろうの出稼ぎに来て、荒稼ぎして帰る人に最高級の品位を求める方がムリだった。

そうした排外的な気持ちからではなく、稀勢の里の努力には素直に讃辞を送りたいが、気になるのは力士に怪我が付き物で、万全の全力対決にならないことだ。この場所、鶴竜、日馬富士、豪栄道、栃ノ心は休場で対戦なく、照ノ富士、琴奨菊も怪我を抱えて実力発揮にはほど遠かった。期待の高い遠藤、逸ノ城は、このところ回復してきたが一時は怪我で番付を落とし、低迷していた。照ノ富士、逸ノ城に怪我がなければ、日馬富士、鶴竜の次はこの2人が一気に駆け上がり、モンゴル勢の牙城はさらに厚くなると見られていた。

大相撲の取り口は時代とともにずいぶん変わった。古い話で恐縮だが、鏡里、吉葉山のころはがっぷり四つに組んでの力比べが館内を沸かせた。栃錦、初代若乃花の栃若時代になると土俵を動き回るスピードが勝負を決め、曙、武蔵丸、小錦のハワイ勢の登場で大型力士が有利になった。

同じ格闘技でも、レスリングやボクシングなどとは違い、相撲は立会いの一瞬が大きくものを言う。体重が150キロ、180キロの力士がスピードをつけて激突すればどうなるか。「毎日、交通事故を起こしているようなものですよ」と貴乃花親方が話すのを聞いたことがある。足をひねって転んだところに重い体重が折り重なれば、重傷も招く。

怪我をしないのも技量、実力の内で、白鵬がそれを証明しているが、なにかよい方法はないものか。どこにもテーピングのないきれいな力士たちの取り組みを見たい。


どこがサービス業だ
2017/01/13
カード会社から娘宛に電話が入った。アメリカにいて留守だと伝えると帰国の予定を聞かれた。学校が夏休みになるまで帰ってこない。連絡を取りたいようだが、娘のスマホは国際電話に使えない。ラインなら無料なので、アメリカ国内限定の通話契約にして料金を割安に抑えたらしい。

用件を聞いたが「ご本人でなければお話できません」と言う。相手が困っているようなので気を回したつもりなのに、木で鼻をくくったような返事にちょっとムッとした。さらに、「郵便にしたらどうです。住所なら分かりますよ」と言ったら、「そういう方法は行なっておりません」ときた。

だってそっちに用があるから電話してきたんだろう。なんだその言い方は、と思ったから「じゃあやりようがないね」と突き放してやった。そばにいた妻が「穏やかに、穏やかに」と余計な指図をする。

相手は「なにか方法を考えます」と言って電話を切ったが、ほどなく振込用紙つきの督促状が来た。日本を出る前に買ったパソコンの割賦料金が引き落とせないらしい。そういえば渡米後、道で財布を落としてクレジットカードを紛失したので引き落とし停止にし、再発行の手続きをしていると言っていた。

いろいろイレギュラーなことが重なったからややこしくなったが、そういうことも時にはある。それを決まり通り、マニュアル通りの対応しかしないなら、取り立てを諦めろ、アホウめと思いながら請求額を見たら、再請求手数料、催告費用、遅延損害金がしっかり加算されている。

割賦返済は今後も続く。こんな面倒なことを毎月やっていられないので、残債を一括返済した。ところがあとでチェックしてみると、残債に支払い済みの遅延月の分が含まれていて、二重払いになっている。

そこでコールセンターに電話をかけると「音声案内に従ってご用件の番号をお選びください」。これを何回もやらせてなかなか係りにたどり着かない。ようやくつながるかと思ったら「ただいま大変込み合っています。そのままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直しください」。

かけ直しても同じなので辛抱強く待っていると、やっとナマの人間が出てきた。用件を話すと「恐れ入りますが窓口が違いますので、これから申し上げる番号にお願いします」。

血圧がどんどん高くなるのをなだめながら、また1からかけ直し、また1から説明する。すると「こちらでは入金状況が分かりませんので、あす係りの者から連絡させます」。「午前なの、午後なの」「お時間はなんとも。営業時間は9時半から5時半になっております」

翌日電話がかかっては来たが、またしても「ご本人以外はご説明できません」。ばかやろう、清算したのは私だし、過払いも明白だ。

言葉遣いだけはバカ丁寧だが、できるだけ人件費を削って手間を省き、その手間を客にかけさせ、利益を増やす。取り立ては抜かりないが、お客本位のイレギュラー対応は、余計なコストがかかるから極力しない。金融業とはいえ、わが身大事の異常で過剰で硬直したガード。こういう横着な業界をサービス業と呼んでよいものだろうか。

そうだったのか

2017/01/06

  年末年始は、BS放送でマーロン・ブランドの「ゴッドファーザー」、オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」、勝新太郎の「悪名」を録画して見ることにした。

「ゴッドファーザー」は、1972年の封切りのとき、ニューヨークにいたので友だちと映画館で見ている。字幕が出ないから、本当のところどこまでストーリーを理解できたのか怪しいものだった。

マフィアのボスのブランドが、ニューヨークで別のマフィアとの抗争で撃たれた後、シシリーの丘をアル・パチーノが歩くシーンが出て来たときだ。一緒に見ていた友人が「あれ、死んだんじゃなかったの」と私にささやいたので、私は「若いころの回想シーンじゃないの」といい加減な返事をした。しかし、パチーノはブランドの息子の役で、いくら回想シーンでも、若いころのおやじの役と二役やるなんて、ちょっとありえないキャスティングだろう。友人はさして疑問も持たず「ああ、そうなの」とうなづいたが。

アメリカ人の友だちとその映画の話になって「なんだかよく分からないところもあった」と言ったら「ブランドは発声が不鮮明で、アメリカ人でも聞き取りにくいんだよ」と慰めてくれた。ふうん、日本で言えば大河内伝次郎みたいなものか、とそのとき思った。

40数年経ち、今回字幕入りで見て長年の疑問が解けた。ブランドは何発も撃たれたが、奇跡的に命を取りとめ、仇討ちをしたパチーノが報復を怖れてシシリーに身を隠したというのが正解だった。話はもっと単純でないと困る。

ひとくちに英語といっても難易度はいろいろで、入国審査やホテルのチェックイン、レストランでのオーダーは、聞かれることがワンパターンなので一番簡単。次が世間話。時に聞き取れないことがあっても「あ、そう」といい加減にあいづちを打って大ごとになることはない。仕事の打ち合わせは難しそうに見えるが、議題のベースや話の背景が分かっているのでまあいける。業界の専門用語を使うが、逆に専門用語を知っていれば豊富なボキャブラリーが要求されるわけではない。

それからすると、映画やテレビなどは、ナマの声と違って難しくなる。一番難しいのはファーストフードのドライブスルーだという人がいた。マイクやスピーカーが安物で感度が落ちるせいなのか。

そういう理由でなく、いやいや、コメディアンのジョークが一番だ、という人もいる。あればその国の文化的な背景に素養がないとなぜジョークになるのか分からない、というのだ。

理屈を言い出すときりがないが、外国へ行って映画を見るなら、正義の味方と悪役がはっきり分かれたアクションものにしておくのが無難だ。最近はアクションものも、そういう単純なストーリーではなくなり、最後に善悪入れ替わるどんでん返しが仕込まれていて、アレレ、アレレ、ナンダと思っているうちに終わってしまうから始末が悪い。