週刊コラムニスト(過去ログ2018年)

絵に描いたような幸せ
2018/12/31

年末になると若夫婦が子どもを連れて里帰りし、老夫婦が顔をほころばせて孫を迎える――そんな風景が、混雑する駅のホームで昔と変わらず繰り返され、季節の定番ニュースになる。

老夫婦にとって、血のつながりのある孫は、特別な感情をかもしだす存在のようだ。歳を重ね、自らの先行きに限界のあることを実感し始めると、子や孫を通して自分の因子が受け継がれてゆくことに安心し、自らが永遠だと感じるからではないか。顔立ちが似ている、性格が似ている、何気ないしぐさが似ている……他人の子どもではそういうわけにゆかない。

たとえばBSテレビで、数十年前の古い映画を見ると、とっくに物故した俳優や女優が次々と出てくる。ああ、あの人いたな、懐かしいなと思いながら、ふと気がつく。あれだけの名俳優、人気スターが記憶からすっかり消えて忘れていたことに。

去る者は日々に疎し。そりゃそうだ。アカの他人をそういつまでも覚えているわけがない。してみると、有名でもない自分なんか、知っている人もたいしていないのに、すっかり忘れ去られて、存在していた痕跡さえなくなってしまうのではないか――そんなモノクロの風景にみるみる色彩がよみがえるのが、家族や子孫に命がつながってゆくという思いだ。

ところが、夫婦や家族の関係を長く維持してゆくには、相当の我慢や妥協を強いられるのも現実で、耐えきれずに離婚する人は、日本人の3組に1組というから、結婚を後悔している夫婦も含めると半分以上になりそうだ。

離婚して子どもと会えなくなる人もいる。離婚した人は、結婚してからこんなはずではなかったと気づくが、それを見ていた子どもは結婚すれば幸せになれると思うのは幻想だと、早くから冷めた目で見るようになる。独身のままで家族のしがらみなく、自分の時間と金を自分だけのために使える一代限りの自由と、リスクはあるが一度は結婚し、わがままを抑えてにぎやかな家代々のどちらを選ぶべきか。

もちろん長きに亘って信頼し合い、とても円満な夫婦もいる。孫と再会してうれしいことに理屈なんかないおじいちゃん、おばあちゃんもいるだろう。

睡眠障害対策
2018/12/23

夜、寝入ってから2時間ほどで目が覚めてしまう。トイレに行って寝直しをするが、眠りが浅く、よく夢を見る。たまには楽しい夢もあるが、たいていろくでもない。睡眠時間が合計で4時間か、せいぜい5時間で、昼間、特に昼食後になると眠くなる。居眠り運転には気をつけているが、2、3度誘い込まれたことがある。会議で人の話をじっと聞いているときも辛い。

対策はいろいろやってみた。睡眠導入剤は多少効果があるが、寝起きに体がだるくなることがあり、常用はしたくない。

床についた後、考え事が始まって頭が冴えてしまったときは、酒を呑んでリセットするが、これも多用すると酒量が増える。睡眠学上も寝酒はよくないそうだ。

寝る前に風呂に入り、体温を上げておいて、少し下がった頃に寝ると比較的いいが、睡眠障害解消の決定打まではゆかない。

昼寝を15分か20分すると元気になるそうで、事実、休日に自宅で昼寝すると快適だが、会社ではなぜか眠れない。仕事モードの切り替えができないようだ。

そんな話を取引先の人に話したら、ドクターエアという昼寝用の電気製品を贈ってくれた。ゴーグルのようなかっこうをしていて、アイマスクのようにして目を塞ぐ。スイッチを入れると、小鳥のさえずりや水の流れる音が聞こえてくる。こめかみに圧力を断続的にかけてマッサージし、閉じたまぶたのあたりが少し温かくなる。

ふうんと思いながらイスに坐って試してみて、これじゃあ違和感が気になって眠れないだろうと思っていたが、気がつくと眠りから覚めていた。これで夜間の睡眠不足を全部補えるわけではないが、睡魔に襲われながら昼間眠れない、あるいは眠ってはいけない状態からは抜け出せそうだ。

どういうわけで効果があるのか知りたかったが、操作方法や注意書きを載せた取扱説明書があるだけで、メーカーのホームページをたどっても、筋肉を鍛える健康器具が売れ筋のようで、電気昼寝器のことは探し出せなかった。

高速道路のサービスエリアに、お試しコーナーでも用意すればいいのに。

ひとこと添える
2018/12/14

今年も年賀状を書く季節が来た。例年、ほぼ印刷にして、下の方に短信が書き添えられるよう余白を作ってあるが、ハテ、何を書いたらよいかと考えあぐねる相手もいる。

なにしろ、もう10年も20年も会ってない人もいる。そう親しかったわけでもなく、なりゆきで年賀状ぐらいは交換してきた相手となると、いまどんな暮らしをしているか見当もつかず「5番街のマリー」状態になる。

もうそろそろいいかな、とやめてみても、相手から律儀に届くとやめられない。その逆もある。同じタイミングで同じ気持ちになるのはむずかしい。まあ、年賀状だけの付き合いで、安否確認という相手がいてもよいだろう。

そこそこ交流があっても、添え書きに困って「お近くおいでの節は、ぜひお立ち寄りください」とか「たまには一杯やろう」とか「今年こそゴルフを一緒に」などと書いてくる人もいる。こういうのは実現したためしがない。

私も、いよいよ困ると「お元気ですか」「○○君はどうしていますか」「新居はいかがですか」など近況を尋ねるが、双方同時発信が弱点になり、1年後に質問の回答が来ることはない。

年賀状も昔とは様変わりしてきた。私が小学校のころは、図工の授業で版木に彫刻刀を揃えて、年賀はがき用の版画を作った。今もやっているのだろうか。

年賀状に写真を使える時代になると、子どもの写真でスペースを稼ぐのがはやるようになり、私もよくその手を使った。送るほうは楽しいが、もらってもうれしいわけではない。

近ごろはわざわざ郵便配達を頼まなくても、メールでもラインでも即座に用が足せるが、やはり元旦は年賀状が束になってポストに入ってないと、正月気分になれない。

取引先や遠い親戚など、定型的なあいさつ文を印刷しただけの儀礼的なものは、差出人をちらっと見て終わってしまう。それからすれば個人的な相手には、たいしたことではなくても、ほんのひとこと添えると、画龍点晴の趣きがある。多少面倒でもやむをえない。

裏目の居酒屋
2018/12/03

長年、車通勤をしているので、帰りがけに飲み屋に立ち寄ることはない。車を会社に置いて出かけると、翌朝はバスや電車の面倒な乗り継ぎ出社になる。帰宅して車を降りてから飲みに出かけ直すのもおっくうだ。それに家の周辺は昔からの住宅街なので、食事処はそこそこあるが、居酒屋となると数が少なく、気に入った店がなかなか見つからない。これはかなり不幸なことだ。

それでも息子に誘われれば、よい店がどこかにないか捜してみようという気になる。駅まで歩くとチェーン店がいくつか開いているが、若者が集まって騒々しいので、落ち着いて飲めない。居酒屋はまず雰囲気よく、気が利いてくつろげること、料理がうまいこと、それでいてそう高くないこと。

電車に乗って繁華街まで足を伸ばせば、そういう店はいくつもある。宴会やパーティならそれもするが、サンダル掛けの普段着で出かける行きつけの店が、どこか近くになければならない。

物色しながら入ってみたA店は、カウンター6席に4人掛けのテーブル席が2つ。このぐらいでも悪くない。年寄り夫婦が二人でずっとやってきたようで、手料理の数も一応揃って味も値段も手ごろ。

ところが、カウンターにぶら下がっている客が互いに顔見知りの固定客ばかりで、市電がなくなったのは昭和のいつごろだとか、そのころだれそれは昔あった映画館の裏に住んでいたが、その後離婚して商売替えをしたな、娘がひとりいたがどうなったか、などと昔話で盛り上がり、店のおやじも相槌を打ったり、手持ち情報を打ち明ける。私も当時の街のようすは知っているが、輪の中に入ると足抜けできなくなりそうで、静観しているとよそ者の気分にさせられる。こりゃだめだ。

B店はA店より広めで割烹に近い。値段は高めだが料理もよく、女将(といってもかなりのばあさん)の話ではこの地に3代目の老舗らしい。それは知らなかった。心地よく楽しめそうだが、なんだか店内ががらんとして人気(ひとけ)が乏しい。もっと流行ってもよさそうだがと思っていて、だんだん分かってきた。

ばあさんが料理をお盆に載せて運んでくるのだが、手がぷるぷる震えて危なっかしい。昔、ドリフターズの「もしもこんな…」シリーズで志村けんが演じていたじいさんそのままだ。注文した料理も板前に通すまでに1つ、2つ忘れてしまう。それでいて、ひれ酒のアルコール分をマッチの火で飛ばさないで飲んだら、「飲み方知らないね」と余計なことを言う。飲み方ぐらい知っているが、省略したら無作法というほどのものではなかろうに。

3代目が板前でばあさんはその母親らしい。老舗のプライドが邪魔をして、客についなにか言って、客足が遠のいてしまうのだろう。

板前が時々ばあさんに怒る。また注文を忘れたらしい。客の相手をするのが無理なのに、本人は「私が元気なうちは」のつもりのようだ。若いアルバイトを雇えば解決すると思うが、新人が入ってくるとばあさんが余計な口を出して居つかないのかもしれない。客が減ればアルバイトを雇う余裕もなくなる、献立の値段も上がる。悪循環だ。

次来るとすれば、カウンター越しに板前の正面に席を取ることにしよう。

彼の余生
2018/11/22

たまにファミレスで朝食をとることがある。前回出かけたのは夏の終わりごろだったか。入口に80代半ば、ひょっとすると90過ぎと思われる老人が座っていて「おはようございまふ」と大きな声をかけてきた。語尾で息が抜けるのは入れ歯のせいだろう。いきなりで戸惑ったが、挨拶を返しておいた。

数カ月して久しぶりに来てみると、同じ老人が同じ場所にいて今度は「グッドモーニング」と呼びかけてきた。毎朝ずっとこうしているのだろうか。ちょっと問題だが、一応手を上げて会釈をしておいた。

朝食を食べ終わったころ、その老人が店に入ってきた。前かがみで歩行はゆっくりだが、杖はついていない。ハンチングをかぶり、ちょっと小ぎれいにしておしゃれの意識があるらしい。ウエイトレスに声をかけながら、一番奥の席に座った。常連客と思われる。

奥から左手に曲がると喫煙席の部屋がある。しばらくして喫煙席から出てきた老女と少々言葉を交わす。顔見知りのようだ。

またしばらくすると喫煙席に入る中年女性がいて、会話を始める。今度は少し長い。女性はタイミングを見て切り上げようとするが、「ございまふ」の老人はつぎつぎ話を繋ぐ。

ひとり暮らしなんだろうな、と思う。家にいても寂しくて話し相手がほしい。そこで店の入口で待ち構えて、誰彼なく声をかけることを思いついた。妙な老人と関わりたくなくて、無視する人もいるだろう。言葉を交わしてきっかけができると、もっと話したい。

多少迷惑がられながらも、こうしてだんだん相手を増やしてゆく。おしゃれをしているのも、好感度をあげたいために気を使っている。独居老人の社交場――たぶんそういうことなのだろう。

彼はどんな人生を送ってきたのだろう。若いころはごくごく平凡だったのか、おしゃべり好きだったのか、案外人見知りするほうだったのか。そして残り少ない余生をどう終えてゆくのか。すれ違っただけの私には知るすべもないが、今をこうして生きていこうと努めているのはよく分かる。

ストレス耐性
2018/11/09

世の中には、面倒なことはなるべく人に頼って、自分はストレスの少ないところを泳いで渡ろうとする人と、目標に向かって使命感に燃え、苦労しながら乗り越えようとする人がいる。

負荷がかかる生き方は明らかに後者だが、どちらが大変かというと一概には言えない。負荷の多い少ないにかかわらず、ストレス耐性が強いか弱いかという問題がある。

耐性が弱い人は、少々のことでもストレスを感じやすく、自分でよく分かっているから、先回りして対策を立てる。それでも完璧な回避はできず、気持ちの切り換えやリラクゼーションに腐心するが、もともと割り切り方のうまいほうではなく、ストレスをいつまでも引きずって解放されない。

耐性が強い人は、むしろ少々のストレスでは物足りない。難局を乗り越えたときに感じるえもいわれぬ達成感、充実感がたまらず、自ら望んで再び難問に挑む。ただ、使命を貫き通そうとすると、周囲と摩擦を起こしたりぶつかったりして、無傷ではいられない。それでも若いうちは満ち溢れる活力で振り切れるが、歳を経るとともに、出る杭は打たれると悟り、折り合いをつけようとするが、身についてないのでうまくゆかない。

両極のタイプが友達同士だと、内心では、互いにあんな生き方をしてなにが面白いのだろうと思いつつ、反面、あんなふうにできればどんなにラクだろうとうらやましくもある。それでいて人の世の生きにくさをどこかで共感し合っていて、妙に仲がよいこともある。

あんな生き方ができたらきっと幸せだろうと思っても、相手の心の奥まで見えているわけではない。自分にないものを欲しがる欠乏動機でなく、自分にあるものを大事にして存在動機の生き方をしてゆくのが、よくも悪くもその人らしさではないか。

辞表の裏の人間模様
2018/10/31

年に数人、社員が辞表を出してくる。「私儀、このたび一身上の都合により」と決まり文句しか書いてないが、人それぞれに裏事情がある。

近ごろ見かけるのが、認知症の親の介護。火事になりかけて目が離せない、嫁が世話をしているが夫婦仲もギクシャクしてくる、離職まではできないが、転職して非常時に駆けつけられる職住接近にしたい。そう言われると引き止めようがない。

両親がすでに他界してのひとり暮らしなら、そんな問題も起こらないが、それはそれで辞表が出る。この歳まで独身で、なんとなく働いてきたが、いまさら結婚する気もなく、親の残した遺産で食って行けるから、ムリして働かなくてもここらで見切りをつけたいと方針を決める。「辞めてどうするの」と聞くと「他にやりたいこともないけど、話し相手に犬がいるから」。人生に目標を持たないと退屈するよと言ってみても、すでに別世界に入っている。

親は元気、自分も若い、未婚でしがらみなく、目標は夢のように高く、なのに転職を繰り返す場合はなぜか。前職はミスマッチ、現職も合わない、どこかに自分にピッタリの天職があるはずだと思って、腰が落ち着かない。全身どっぷりの青い鳥症候群なのだ。

新卒者が入社してくると、私はガツンと先制攻撃をかけておく。「自分にピッタリの天職などいくら探してもどこにもない。窮屈だったりダブダブの服を具合悪いと思いながら地道に着続けているうちに、やがてその服がピッタリ合ってくる。つまり天職は自分の中に隠れている。外に探しに行って見つかるわけがない」

深く考えないで就職してきて、どう見てもミスマッチで、潜在能力が引き出せないときは、社内で配置換えをすると生き返る。見どころはあるがギョッとするほど転職歴のある人を、ハラハラしながら採用してみたら、結婚してすっかり落ち着いたケースもある。

結婚して辞める女性もいる。いまは育児休業制度も整っており、昔の寿退社とは事情が違う。他社の事例だが、学生時代の同級生同士がそれぞれ別の先に就職し結婚。妻は化学薬品メーカーの研究員で将来を期待されていたが、夫の転勤であっさり退職。優秀な人材を大事に育ててきたのにと、上席が泣かんばかりに悔しがる。

自営業の跡継ぎにと、親や親戚に呼び戻される場合もある。給料を払いながらキャリアを積ませた費用がぱあっと消える。プロ野球なら金銭トレードやバーターがあるが。

ただ、こうして理由がはっきりしているケースは少ない方で、なんだかムニャムニャ言って要領を得ず、本心を明かさないのは、ほとんど職場の同僚や上司との人間関係のこじれに起因している。顔を見るのも嫌なほどこじれてくると、毎朝同じ顔を見に出勤するのも辛かろう。こうなる前に相談してくれれば、関係修復なり職場転換なりの方法があるが、口をつぐんだまま転職先を決めた上で辞表を出すので、手が打てない。

上司対部下の不和は、権限の強い上司に責任がある。部下対部下の場合も、上司の監督不行き届きになるが、上司が常に人心収攬術に長け、人格者であるのは難しい。もっと厄介なのが、上司対上司、役員対役員で、主導権争い、権力争いに発展すると派閥ができ、組織が内部から弱ってゆく。「社長争奪」(有森隆著、さくら舎刊)にはパナソニック、ダイエー、大塚家具、三越伊勢丹など8社の壮絶な闘いが描かれている。権力の頂点に立つか、敗れて辞表を書くのか、策謀がうずまいて人格者どころでない。

人間模様は興味深いような、哀しいような。

女の日常と非日常
2018/10/22

かなりあらたまった席に招かれることになり、末席ながら欠席するのも穏やかでないので、出席の旨伝えたところ、当日の服装は「モーニングコートまたは紋付き羽織袴が一般的」と通知があった。

スーツでもよさそうだが、そんなわけにもゆくまい。訃報に駆けつけた通夜で、ダークスーツならセーフといっても、周りが真っ黒な喪服で埋まっているとひどく目立つのと同じで、並みいる正装の群れの中、スーツは避けたほうが無難だ。

さすがに紋付き羽織袴の用意はないが、モーニングは持っている。以前、社内結婚をする社員に頼まれてよく仲人を務めた。

近ごろの結婚披露宴は、仲人も立てず、ドレスコードもなく、出席者は平服が主流で、格式ばらなくなった。儀式なら目に見える形で慶意を示さないと非礼だが、儀式の要素がなくなったということだろう。

冠婚葬祭、慶弔はいずれも非日常(民俗学で見る「ハレ」)で、日常(同「ケ」)とは明確な区別があったが、結婚式は「ケ」になってきた。離婚、再婚が“日常化”してきたからだろうか。

さて今回は、結婚式でなく慶事の中でも本格派なので、長年使ってなかったモーニングを奥からあわてて引っ張り出してチェックした。ウエストが少々きつく体型を調整しなければならないが、ひとまず安心――というものの、ことは上下とベストのスリーピースで終わらない。モーニング用のネクタイとワイシャツ、カフスボタン、サスペンダー、胸ポケットに飾りの白ハンカチ。白手袋はいるのかどうか。

これが家捜ししてなかなか見つからない。家の耐震工事をして移ったときに、どさくさでどこかに紛れ込んだのかもしれない。焦りながらさんざん探して、ネクタイと手袋以外はようやく見つかった。ないものは再調達。クリーニング済みだったワイシャツも、糊を効かせてもう一度。

儀式は非日常だから面倒なものだ。面倒でも型通りしないとハレにならない。よいも悪いもない。

 
コジローの自然死
2018/10/07

昨年夏から、糖尿病治療を続けてきた老犬のコジローが死んだ。3日前の朝食を吐いてから、食事を全く摂らなくなり、続いて水も飲まなくなった。だんだん体力を失い、クッションの寝床でじっとうずくまるようになり、たまに排泄で起き上がり、よろけながら場所を探すが、大して出ない。

3日前の夜8時過ぎには、通院していた動物病院に打診したが「時間外なので夜間診療をしている所に行ってください」と紋切り型に断られた。この病院は副院長が丁寧に診てくれていたが、昨年末に辞めてからは、こんな感じの院長が雑な扱いをするようになった。他にここならと思う適当な病院が見つからず、通院を継続していた。

「この時間、検査もできないし」と言い訳されたが、もう検査などする段階でなく、実際、受診したところで施す手はなかっただろう。何もできなくても、診てもらっただけで飼い主は、やるだけの手は尽くしたと気がすむものなのに。

3日間、ようすを見守りながら、これが人間なら、点滴や胃ろうや酸素吸入などの管をたくさん繋いで命の引き延ばしにかかるのだろうと思われた。そばにいてなにもしてやれない無力感はあるが、まもなく16歳という長寿であれば、老衰の死期に臨んで手を加えない自然死が、ムリのないあるべき姿だと教えられる。私の末期(まつご)もそうありたいと思う。

夜になって、しばらく息が荒くなったが、やがて苦しむことなく静かになった。コジロー、コジローと呼んでみたが、反応がない。

この1年あまり、朝晩休まずにインスリンの注射を打つのが私の日課だった。白内障で目も見えず、耳も聞こえず、認知症のようでもあり、食事にも排泄にも世話がかかったが、そうしたすべてが終わった。

ひと晩、仏壇の前に安置し、翌朝、庭の隅に埋めて、お供えをし、念仏を唱えた。

家に初めて連れてきた日、膝の上に乗ってきて撫でてやったこと、ドッグランに行ったひととき、バイクに轢かれそうになった時、いろいろ思い出がある。死が重いのは、すべてが還らないからだ。

灼熱列島
2018/07/28

おい、いつまでふざけているんだ、いい加減にしろよ、と言いたくなる暑さが続く。24日は熊谷で41.1度。国内過去最高を記録したといわれても、おめでたくもない。テレビも新聞も「命の危険がある暑さ」と耳新しい脅かし方を繰り返しているのに、先週1週間に熱中症で亡くなった人が65人、病院に搬送された人は2万2000人を超えるという。

こうなると大型台風か集中豪雨、大地震、大津波の被害と変わりない。避難や対策は容易で、涼しい部屋でじっとして、水分補給に気をつけていればよさそうなものだが、人にはそれぞれそうばかりもしていられない事情がある。

大工には建築工程があり、引越し業者には予約日程があり、農家は除草や収穫を休めない。スーパーの駐車場出入口や道路工事の現場で、定年後再就職した高齢者が、足許の照り返しの厳しい炎天下、猛暑に包まれて車の誘導をして立ち続ける姿は、見るからに大変だ。

命を危険に晒してまでやらねばならない仕事とは思えないが、かつてない経験で、どのていどの危険度なのか測りかねている面もあるだろう。小中高生が体育の授業や大会でバタバタ倒れるのは、スポ根主義がいまだに生き残っているのか、指導員がただ間抜けで気が利かないだけなのか。

とはいいながら私も、先週の日曜日39.5度のカンカン照りの中、ゴルフを1ラウンド回った。一緒に回る相手がいたのでキャンセルしなかったが、常識的にはアホというしかない。保冷水筒に冷たいお茶を2リットル用意し、カートに乗り、茶店で梅干をかじり、変調を感じたらすぐやめるつもりでいて全部回れた。

次の日は39.6度だった。都心に電車で出かける用があり、思いついて傘を差してみた。日傘と言うと女性専用だが、なぜ男物がないのか。雨傘でも日差しは遮れるので効果はあるだろうと試してみたが、思ったほどではなかった。熱くなったコンクリートの照り返しにはなすすべもない。女性が日傘を差すのは日焼けを嫌うためらしい。

昔から酷暑で名高い名古屋で、都心の地下街が縦横に発達しているのも、喫茶店の数がやたらに多いのも、暑さ避けが要因のひとつらしい。味噌料理が多いのも日持ちするため。

してみると、ひょっとして名古屋城のシンボル、金のしゃちほこは雨を降らせて涼を呼ぶためか。空襲で焼け落ちた天守閣を再建し、しゃちほこを復元したら、とたんに伊勢湾台風に襲われ、シャチが水を呼んだとうわさになったことがあった。

守破離
2018/07/18

書道を習い始めて3カ月、目的の企業理念を墨で書くのは、手本があるからそれなりに書けるが、どうもなんだか手本を真似しているだけては面白くない。注意深くなぞってみても手本以上になるはずもなく、苦労して書いたまがいものをできあがりにするぐらいなら、手本をそのままモニュメントに採用した方がマシではないか。

ただ、自分が思いを込めて生んだ言葉を自分で書く以上、その字にその思いを乗せて表現できないかという気があるから、手本は手引き書あるいは参考資料になる。マラソンで言えば、先頭を走るペースメーカーのようなものか。

行儀よく整ってはいるが、どこか物足りない。もっと面白みを出して、印象に残るような個性的な味付けをしてほしい、と指導の書家に注文を出したら、一応書いてくれたが「ああ、これだ!」と思うような字にならない。技術的には、楷書、行書、草書、漢字、仮名、太字、細字は言うに及ばず、隷書でもてん書でもさらさらと自在に書ける人なのだが、私の思いが伝わらない。

そんな注文をつける生徒は初めてで、面食らったようだ。よく考えればもっともな話で、教師が私の個性で字を表現しようとしてもできるわけがない。できたとしたらそれはだれの個性なのか。

絵の制作をしている娘にラインを送ったら「真似がつまらなかったら自分でアレンジしてみれは」と返信が来た。「真似するだけでは自分がない。模写ばかりしている絵描きのようなもので、面白いわけないだろう」と書いたら「お父さんは自己表現を楽しめる人で、そうでない人もいる。同じ走るのでも速く走りたい人もいれば、ただ走るのが好きな人もいる」と大人びた解説をする。

そうかアレンジねえ、とその気になり始めたとき、次男が「守、破、離って知ってる」と問いかけてきた。日本の武道や茶道、書道などに伝わる言葉で、守は決められた型を守って、繰り返し基本を習得する段階、破は守で身につけた基本をベースにしながら自分なりの工夫をして徐々に基本を破る段階、離は型や教えから離れ、全く新しいオリジナルを生み出す段階だという。

私は書家になるつもりはないから、守破離は別次元の話だが、それでもうんと気が楽になった。あともう少し書いてみて、良し悪しの指導や評価は受けず、自分の気に入った書を選んでできあがりにしよう。

人前で話すには
2018/06/28

社員のひとりと打ち合わせをすませて席を立ったら、わたくし事で相談があると引き止められた。なにかと思ったら、この春PTAの会長になってしまい、来年の卒業式と入学式であいさつをしなければならない、ウエブであいさつのコツみたいなものを拾ってみたが、どうもあまり参考にならず、困っていると言う。

それに、大勢の前であがってしまわないかと心配なようで、何回かやっているうちに慣れるよと言ったのだが、その2回で交代してお役御免になるらしい。慣れているひまもない。となると――。

あいさつはまあ5分かせいぜい10分。それ以上長いと嫌われる。その時間内で話のポイントを3つか4つ上げて肉付けし、つないでみる。なにか伝えたいメッセージを入れるとなおよいが、説教調にならないこと。逆にあっちこっちの顔を立てようと八方美人になると、聞いている方は退屈で、褒められた本人しか喜ばない。

全体の構成ができたら、一度原稿にしてリハーサルをしてみる。ただし丸暗記は絶対にしないこと。本番で舞い上がってしまうと、突然まっ白になって「……」とあとが続かなくなる人がいる。衆人注視の中進退窮まると、見ている方がハラハラする。念のため、原稿は手許に置いてもよいが、あくまで話のポイントを頭に、あの話の次はこの話と大筋を心得ておけば、少々のつなぎはその場の思いつきで通過できる。

聴衆を飽きさせないためには、ちょっとジョークを入れて引きつけるとよい。笑いがどっと取れるとやみつきになるが、見事にすべることもある。すべっても気にしない。

ジョークまではと思うなら、ご当地アイテムをひとこと加える。学校の近くの山川や、校門の桜の木、近所の文房具店のおやじでもよい。これで俄然、定型文を免れる。

学校の先生、政治家、坊主や牧師など、しゃべるのが商売の人は、緊張せず無難にあいさつをこなす。しかし、そういう人たちが、いつも心に残る話ができるかというと、それはまた別の話。人前で話すのが苦手でも、思いがこもった話なら、聞く人の胸を打つ。

場慣れでもテクニックでもなく、そういう人の話を聞きたくなるのは、子どもでも騙されない政官民の舌先3寸、嘘八百まみれに、もううんざりしているせいに違いない。

主治医の交代
2018/06/18

昨年夏から、コジローの糖尿病治療を続けて1年近くになる。15歳の老犬で容態が覚束なく、最初はもうだめかと思って安楽死の相談までしたが、よく持ち直してきた。家で朝晩のインスリンの注射を打ち、食欲をなくしたりして調子がおかしいときは、病院に預けて血糖値を測ってもらい、注射液の量を微調整した。担当医は病院の副院長で、いかにも動物好きらしく、愛情細やかな対応をしてくれた。

ところが年が明けてから姿を見なくなり、院長が診るようになったが、どうもやることが雑で、血糖値の説明もあまり丁寧でない。副院長はどうしたのか受付に聞いたら、年内で辞めたらしい。このままでは不安が残るので、他の動物病院を捜してみたが、預かる施設がなかったり、開業間もない若手獣医のひとり態勢だったりで、ここならという踏ん切りがつかない。ペットの病院選びは案外むずかしい。

話変わって、私が潰瘍性大腸炎になってから3年の間、2カ月ごとに通院していた総合病院の主治医が異動になり、次回から別の医師が担当になると言われた。病状は幸い寛解(症状が安定して問題ないこと)が継続しており、簡単な問診と服薬の処方箋をくれるだけだが、主治医は質問にはよく答えてくれたし、内視鏡検査も上手だった。

次はどなたがと聞くと、H先生と言われ、Sさんでなくてよかったと答えたら、主治医もそばにいた看護婦も、いきなり笑い出した。S医師は、初診で内視鏡検査を受けたときだけ診てもらった人で、患者はよけいなことを聞かずに黙って医者の言うとおりにしていればよい、というような昔はよく見かけたタイプだった。私はなんでも遠慮なく聞きたがるが、ちゃんと答えないのは医師の怠慢だと思う。

私は歯医者にも通っている。歯医者は粗製乱造されてきたのか、数ばかりやたらいて腕前がピンキリだから、慎重に選ばないと治療どころか大事な歯をだめにされてしまう。そういう苦い経験があるので、いま通院している歯医者は、大学の口腔外科の権威に紹介してもらっただけあって、申し分ない。ただ、診察台が6台もあって、歯科衛生士のほか若い歯科医も2人ばかりいて、補助的な治療をしている。

先日、そのアシスタントが、私の歯をいじりながら「ン? アレ? オヤ?」などとつぶやく。おいおい、大丈夫か。こっちはなにをされているのか見えないのに、不安になるじゃないか。

医療行為はサービス業だと知るべし。「先生」という呼び方からしてやめたほうがよい。

青春のしくじり
2018/06/09

テレビコマーシャルのバックに、ほんのワンフレーズ起用された歌が、なんとはなしに耳に残って、コマーシャルだから何回か耳にするうちに、しみじみ心に響くということがある。

「夢でもし逢えたら、素敵なことね。あなたに逢えるまで、眠り続けたい」(原曲は「夢で逢えたら」。1976年、大瀧詠一作詞作曲)

逢いたいなと心が躍る。でも逢えない事情がある。夢で逢えないかなと思う。そしたらいいなと思うが、逢えるかどうか分からない。夢で逢えても現実ではないが、そんなことは構わない。逢いさえできるなら逢えるまで眠り続けたい。せつないのに、うきうきしてしまう甘酸っぱい気持ちが、自然に伝わって共振する。

私が大学生のとき、夏休みに3つ年下のA子と知り合った。ストレートのロングヘアがよく似合い、まだ高校生だったが、人によく気遣いをするのが感じられた。おしゃれで自由な都会の匂いがし、話していて楽しかった。彼女の進学後もたまに逢い、鎌倉や京都に出かけたこともあった。

その後、私は世界貧乏旅行の計画を立て、まずイスラエルのキブツ(集団農場)を最初の逗留地に定めた。、一人旅だから英会話は必須になる。どんな英会話教室を選べばよいか聞こうと、私は彼女の家に立ち寄った。彼女は英語が堪能だった。すると、思いがけず彼女は「私も行くのよ。一緒に行こうか」と切り出した。

意外な話に私は虚を突かれ、とっさに「A子は北回りだろ、おれは南回りで行くから」とわけの分からない答え方をしてしまった。漂泊のバックパッカーには偶発的な危険が伴う。それを承知で、自分ひとりの力で乗り切れるか試すのが私の目的だった。彼女が一緒では言葉の疎通も完全に頼ってしまう。私は自分の都合しか頭になかった。

私の取ってつけたような拒絶理由に彼女は視線を落とし、「中東はドンパチやるから、ひとりじゃ親が心配するのよ」と言った。そりゃドンパチでなくても親は心配だろうし、私ももう少しちゃんと話すなり、彼女を傷つけない言い方があっただろうにと思う。

結局2人は別々に出かけ、私は2年かけて世界を一周した。帰国後、彼女と一度再会して、旅先でのできごとを語り合ったが、その後はそれっきりにしてしまった。

あれからずいぶん経って、あのときの気持ちを説明したくなり、彼女の家を探ししてみた。住所は覚えていないが、山手線の目白駅前のパチンコ店の横を右へ回り込み、裏通りに入ってすぐにある。2人姉妹だったから表札は変わっているかもしれない。住んでいなくても消息が分かるかもしれない。

しかし、駅前はすっかり様変わりし、パチンコ店も彼女の家も跡形もなく、ビルやマンションに建て替えられていた。

彼女はいまどこでどうしているのか。夢でもし逢えたら、素敵なことなんだが。

井の中の蛙、大海を知らず
2018/05/25

62歳だという。いい歳をしてみっともない人だ。日大のアメフットの前監督のこと。危険な反則プレーをした20歳の選手が、記者会見で整然と真情を吐露し、真摯に謝罪した姿とどうしても比べてしまうから、よけい際立って見える。言い訳や言い逃れをすればするほど事態を悪化させているのに、全然気がついていないのはなぜか。

彼はまず、大学の運動部という二重の閉鎖社会のトップにおり、事態を口先で押し切れると思っている。大学や運動部がどこでも閉鎖社会と言うつもりはないが、ほんのちょっと前にも、志学館大学レスリング部の監督が、日本レスリング協会でパワハラ問題を起こしたばかりだ。

日大のケースは特にひどい。記者会見場の司会者も、広報担当も、関学への回答文書も、問題を選手に押し付け、全学を挙げて組織防衛、自己保身に徹している。

前監督は大学の常務理事(現在、一時停止中)で、圧倒的な支配力を持っている。しかしそれは学内でのこと。世間から見れば、往生際の悪さで醜態を晒しているだけなのに、井の中の蛙でその空気が分からない。選手は、自分にはもうアメフットを続ける権利がないと身を捨てているのに、前監督はほとぼりが冷めたらまた常務理事に復帰させてもらうつもりでいる。選手への限度を超えた指示は、大学のためであり、自分は功労者で、大学もそれをよく分かっていると思っている。

一将功なって万骨枯る。見捨てられたのは選手だけではない。都合の悪いところは、前コーチが罪を被らされている。大学に身を置いてきたコーチとしては、言い分があっても逆らえない。見放されたらこれから先どうやって生活していこうかと不安で、この場は言いなりになるしかない。しかし打つ手、打つ手が裏目続きの大学に、救済されることはないだろう。

大学も監督もコーチも、事態を甘く見ている背景に、私はこのところの政治状況が“手本”にされていると感じている。政官一体の記録の隠蔽、改ざん、廃棄、そして見え見え、バレバレでもいけしゃあしゃあの国会答弁。ああ、この手で押し切れるんだ、と。

知らず知らず知っていること
2018/05/17

葉山に住む親戚が訪ねてきて、手土産に日影茶屋のお菓子をもらったので「日影茶屋といえば大杉栄だね」と言ってみたが、3姉妹のだれも知らないようだった。

大杉栄は大正時代の無政府主義者で、当時旅館だった日陰茶屋(のち菓子舗、日影茶屋)で、愛人に刺された。関東大震災の混乱のさなか、軍部の甘粕大尉に捕らえられ虐殺されたことでも知られる。のちに瀬戸内晴海(寂聴)の小説や吉田喜重の映画になり、映画ではプライバシーの侵害をめぐる裁判に発展したりした。

刃傷沙汰も虐殺も当時は大事件だったが、3人は私よりひと世代若いから、遠い昔のことを知らなくても不思議はない。私にしても生まれる前の話だが、妙に詳しいのは無政府主義に関心があったからなのか。吉田監督の映画を見たかどうかも記憶がない。

明治の半ばに、旧制一高の学生だった藤村操が「(前略)万有の真相は唯一言に悉す。曰く『不可解』(後略)」と「巌頭之感」を書き残して華厳の滝に投身自殺した事件も、後追い自殺する者が続くほど衝撃を与えた。当時彼の教師だった夏目漱石も少なからず影響を受けた。この「巌頭之感」は、私が高校の時、隣りの席にいた同級生が興味を持ち、教えてくれた。彼はその後社会評論家になった。

「木口小平ハ死ンデモラッパヲハナシマセンデシタ」は日清戦争の兵隊の手本、広瀬中佐の「杉野はいずこ」は日露戦争の旅順港閉塞作戦の美談として軍神化し、戦前の学校で教えたので、当時はだれでも知っていたようだ。なんで私が知っているのか、いつ知ったのかよく分からない。

こういうことは知らなくても困らないし、知っていると便利というものでもない。なんで知ったのか自分でも分からないのに、いつまでも覚えていて忘れないのは、その事柄に関心が向いて、どこか波長が合うからで、まあ趣味の範囲に近いかもしれない。多かれ少なかれひとそれぞれに違う波長があるのだろう。

そういう波長がやたら多い人は、よく言えば好事家、悪く言えば衒学者、平たく言えば物好き。もともと必須アイテムではないから、ひけらかすとろくなことはない。尋ねて答えてもらうと意外に奥深いと知る。そういう奥ゆかしさを備えて、初めて教養と呼べるようで、どうにも扱い方が微妙なものだ。

猿との会食
2018/05/11

ゴールデンウイークに、長男の子ども2人と3男の子ども3人が合流し、年頃も6歳から2歳までのダンゴ状態で、そりゃあもう大人しくしているわけがない。群れが増えて興奮する猿だと思えば分かりやすい。

猿の相手はしたくないので、なるべく関わり合いにならないようにしていたが、みんなで食事に出かけるとなると、そうもゆかない。居酒屋の2階で、個室とはいうものの隣室とはふすま1枚。歓声、嬌声、泣きわめきになんの役にも立たないばかりか、猿同士もつれ合って、ふすまがはずれること2度、3度。隣室も大勢で宴会のようでにぎやかとはいえ、騒々しさの度が違う。

隣室は廊下のどん突きに左右に長く伸び、こっちは廊下の左右に向かい合ったうちの左側の部屋で、私は入口から一番遠い奥の席を取ったが、これがいけない。

どちらの部屋の入口も半間の素通しなので、私の席から出入り口への対角線が、突き当りの廊下を経て隣室の出入り口を越え、さらに奥へと延びる。なんの障害物もなく、遠くに座る男性客とちらちら視線が合う。その向かい側に背を向けて座った女性も、ドシン、キャーと騒ぎが高まると、分かってはいても気になるようで、時々こっちを振り向く。

「こりゃいけないよ、具合悪いよ」と私は気が気でないが、長男、3男は平静で「ちゃんと謝ればいい」と慣れたものだ。謝ったところでうるさいものはうるさい。これが自分の孫でなかったら、ぶん殴って気絶させるか、猿ぐつわを噛まして転がしたくなるだろうに。隣室の客が辛抱強くて救われた。

台風一過、猿たちが帰って平和が訪れた翌日、竹を加工してよい色合いの付いた長い靴べらが見当たらない。どうせおもちゃにして遊んだに決まっている。私の気に入りなので、どこに捨てられたか、壊されたかと少し焦ったが、見当をつけて探したら無事見つかった。やれやれ。

子どもは元気ならよいというものではない。しかし、行儀のよい猿というのも想像しにくい。

再び習字の話
2018/05/02

習字を始めてみて、なかなかよいものだと思うようになってきた。

まず気持ちが落ち着く。イライラしていたり、気がかりなことにこだわっているようなときに、いったん心の切り換えをするのにちょうどよい。気持ちの切り換えは、以前は喫煙でまかなっていたが、あれは落ち着くというよりセカセカしながら押さえ込む感じで、立て続けに吸うヘビースモーカーになった。今はやめたが、飴やせんべいではタバコの代わりにならない。

仕事を終えて帰宅し、オンからオフの切り換えは酒に限る。大した量でもないが、テンションが一気に緩んで、飲んだあとは何もやる気にならない。テレビを見ながら寝てしまうのが常だ。おかしなことに、集まりの席で飲んでいるときは、逆に一気にテンションが上がって、しゃべり出したら止まらなくなる。なんでそうなるのかよく分からない。

机に正対し、墨を摺り始めると落ち着きモードに入る。近ごろは墨を摺るのは少数派で、手っ取り早い墨汁が幅を利かせているようだが、相撲の仕切りのようなもので、呼吸を整え、心の準備、気持ちの高まりを待つ時間はみたほうがよい。ボクシングだって、いきなり殴り合うのでなく、ゴングがなる前に、名乗りを上げたり、分かりきったルールの説明をレフリーから殊更のように受ける。

摺りながら、ほのかに墨の香りが立つ。フエルトの下敷きの上に半紙を重ね、文鎮を置く。筆を取って墨になじませる。そういう所作が精神統一の働きになる。精神を集中して筆を運び始めると、気がかりなことやうんざりしていたことが、すっと消えてなくなる。

私としては、1年ほどの手習いで、企業理念の書が仕上がったら目的達成だが、精神修養やリラクゼーションになるなら、課題を変えてもう少し続けようかと思う。ただ、でき栄えに人の評価は必要ないし、されたくもないので、級や段位はいらないし、コンクールに出品もしなくてよい。

さしあたって、色紙用に「被生森羅万象 以志而担一隅」と漢文書きにしてみるのはどうかと思うが、色紙を貰ってくれる物好きもそうはいまい。

写経の手本として定番なのが般若心経で、短いのでなにかと手ごろなのだろうが、あの経文は何回読んでも私にはしっくりこない。

となると、どうしたって座右の書の「平家物語」になる。冒頭の「祇園精舎の鐘の声」から「偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ」までの4対句を練習して掛け軸にし、ひとりしみじみ眺めることにするかな。

へそ曲がりの手習い
2018/04/20

4月から1年のつもりで書道教室に通い始めた。創業80周年の記念モニュメントに、企業理念を自筆で入れるため。失笑を買うようなカナクギ流では具合悪かろう。

母が習字をやっていたので、筆や墨、硯、文鎮などは揃っている。生きていれば、一緒に稽古して多少の親孝行にもなっただろうが、5年前に亡くなった。

友達が先に習っていたので、講師や教室のようすはあらかじめ聞いていた。週1回、2時間の指導だが、10数人の生徒が、家で書いてきた半紙を10枚、20枚広げて、いいとか悪いとか朱を入れてもらう。先着順で、ひとり3分、5分もあれば終わってしまう。始業に遅れても構わないが、全員を見終わると30分ほど早く店じまいになるので、時間半ばには来て、他の生徒の手直しを見ながら順番を待つ。

筆を持つのは中学以来だからどんなものかと思ったが、書いてもらった手本を見ながらの練習なので、それなりには書ける。手本はまず楷書から。講師はさすが手馴れてさらさらと、当たり前だが苦もなく巧みに書いてくれる。希望としては行儀のよい楷書より、勢いや味のある字を書きたい。筆に慣れてきたら、手本を行書にしてもらうが、所詮は見よう見まねの域を出ないのだろう。

自筆という以上、本当は独自の味わいが出せなければ意味がないが、それは書家に求められる水準になる。私の場合、手本に追いつかない稚拙さが、オリジナル色になりそうだ。それでよい。

教室に来ている生徒はみな10年、20年選手で、背丈ほどもある紙に漢詩だの俳句だのを、墨痕鮮やかに書き連ねて持ってくる。もう習わなくても充分りっぱに書けるのにと思うが、そういうものではないらしい。コンクールに出品して受賞したり、段位を上げたり資格をもらうのを励みにしているのだろう。習い事に共通で特有の世界がある。マズロー流の心理分析で言えば、所属の欲求と承認の欲求と言えばよいか。

そう思うと、私の素直でない性格がちょっとひとこと言いたがり始める。王義之や小野道風の書体、筆跡を真似てなぞったり、李白、芭蕉の詩歌を借りてきて何度書き直したところで、真筆と模倣の間をどれだけ埋められるかという欠乏動機に終始し、「我は我なり」の存在動機が満たせるとは思えない。

入りたての新顔が、憎まれ口を叩くのは慎まないと。群れに抵抗なく、従順に溶け込むのはどうも苦手で困ったものだ。

年寄りのゴルフ
2018/04/13

80になってもやれるスポーツというと、ゴルフ以外そうはない。ゴルフのおかげで元気という人もいれば、足許が覚束ないからカートで移動し、キャディに助けられながらも、あわてず騒がずラウンドする人もいる。心底大好きという人もいるが、年寄りゴルファーの多くは健康維持、病後のリハビリ、あるいは単なる暇つぶし。

止まっているボールを打つのだから、動体視力も反射神経もいらない。マイペースで遊べるが、それでもひとり黙々とプレーするのでは、仕事か修行でもしている気分になるから、一緒に回って楽しむ相手がいる。

年寄りは暇と言っても、車に乗ってちょっと遠くのゴルフ場で落ち合い、朝から夕方までの1日がかりなので、メンバー調整、日程調整が結構大変になる。誘い誘われの仲間や、手持ちのグループをいくつか用意しておかないと、いつでもちょいちょいというわけにはゆかない。

そのいつもの顔ぶれも、ひとりふたりと抜けたりする。首が回らない、肩を壊した、腕が上がらない、腰を傷めた……。「お大事に」と、患者を見送る病院か薬局の受付嬢みたいなことを言って、代わりを捜すことになる。

年寄りはまた、結構注文がうるさい。料金の高い土日は割引券でもないと行きたがらない。平日で都合はつくわけだし、年金生活者として基本の心がけになる。朝早いのは苦にしないが、日が暮れてからの帰りの運転はなるべく避けたい。用意のよい年寄りは、若手の仲間をちゃんと見つけて「いつも悪いね」と言いながら送り迎えしてもらう。

一昨年の暮れにリタイアして暇になったA君が、「遊ぼ、遊ぼ」としきりに誘ってくる。彼とは同じゴルフ場の会員なので、土日でもメンバー料金で問題はないが、もうひとりぐらい面子がいる。それも会員なら料金に気兼ねなく好都合だが、やりくりに苦労していた。

そんな折、現役で忙しいB君からA君に「またゴルフを再開した」との年賀状が届いた。B君も同じ会員なので、それはいい、早速誘って予約しろとA君に言ったのだが、もたもたしてなかなか話が進まない。しばらくしてB君から私に電話があり、私に頼めば手配してくれるとA君に言われたと言う。

いつも人を当てにして、Aはしょうがないやつだと思いながら、3人の都合のよい日で予約を取ったら、B君から連絡が来て「その日は都合が悪くなった」。1週早い土曜に変更してキャンセル待ちにしていたら、やがてゴルフ場から取れましたと電話が来たのはよいが、なぜか1日間違えて日曜になった。今度はA君がその日はダメで、あわてて取って置きのC君の参加を取り付けた。

やれやれと思った予約日の4日前、B君から「階段から転んで、肩を傷めた。ゴルフできない」としきりに恐縮して言う。無理するな、お大事にという他ない。キャンセル料がかからないぎりぎりで、すぐにゴルフ場に連絡した。B君の希望で、非会員には料金が一段と高いオフィシャルコースだったので、もう人探しはやめてC君と2人、フリーの人が入ってもどうぞにした。

年寄り同士でゴルフをするのはこんなにくたびれる。

犬と桜見物
2018/04/06

願わくば 花の下にて春死なん その望月の如月の頃  西行

花とは桜のこと。如月の望月とは陰暦の2月15日。涅槃会つまりお釈迦さまの入滅の日で、陽暦では3月末になる。今年は桜の開花が早く、例年なら今ごろが満開なのに、もうだいぶ散ってしまった。

家の近くの川の両岸に沿って2キロほどの桜並木が続く名所がある。近くていつでも行けると思うから、かえって毎年見過ごしてきたが、今年は犬と一緒に3回出かけた。

北側の家を耐震工事して移ってから、犬の昼間の居場所が日当たりの悪い北側の狭いスペースになった。高齢のコジローは時々うぐーとゲップのような鳴き声を出す以外は丸くなって寝てばかりいるが、その子のクマゴローは、以前のように広い芝生の庭を走り回れなくてストレスがたまるようだ。ドッグランに連れてゆけば喜ぶだろうが遠いので、30分の桜見物で私も楽しむことに。体力のないコジローは別途連れて、家の周りをうろつく程度。

桜はいつ見てもいい。淡いピンク色が、華やかでいて派手ではなく、ちょうどよい上品さを失わない。葉もまた奥ゆかしく、満開の邪魔をせず花が散るまで存在感を消して待つ。

川面に向かって、両側から枝がすうーと伸びる。川面で反射する光に枝が誘われるからなのだそうだ。橋の真ん中で、ゆるく蛇行してゆく川を眺めるのが絶景スポットで、行き交う人がしばし立ち止まる。クマゴローは全然興味を示さない。なにか食い物が落ちてないか、せわしなく地面を終始嗅ぎ回る。

私が子どものころは、両岸に屋台がずらりと並んだ。入ったことはなかったが、川面に突き出た桟敷だったか椅子にテーブルだったか、酒やダンゴ、おでんが売られ、酔っ払いが上機嫌で歌ったり談笑したりしていた。その後、食品衛生法や道路交通法などの網にかかって、きれいさっぱり姿を消したが、いまにしてみれば、桜を愛でながらのんびりと酒を飲んでみたかった。

近所のそば屋で、この時期だけ木の芽田楽を出す店がある。店から桜は見えないが、田楽を食っただけで、ああそうだ、桜見物の季節なんだなという気分にはなれる。

今年は川に面した一軒の民家で、コーヒーやソフトクリームを出す店を見かけた。犬を連れた客のために、庭の一角に犬の休憩用の柵も設けてある。桜が散っても店をやっているのだろうか。この川沿いは一年中健康オタクのジョギングコース、ウオーキング銀座だから、ボチボチの商売になるのかもしれない。

まあしかし、散歩の途中で飲むなら、やはり冷えたビールか冷酒だな。葉桜を見ながらでも。

幼なじみのその後
2018/03/27

このところ毎年正月になると、百人一首をパロディにした時事狂歌を、年賀状代わりに送ってくる友人がいる。「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」の本歌から「あいびきの山尾の弁の白々しさよ、長ながし夜を1人で寝たとは」といった具合だ。

彼とは幼稚園から高校まで同窓だった。家が近所なので幼い頃は互いの家によく遊びに行った。中高では一緒のクラスになったことはなかったように思う。大学で私は上京、彼は地元に残り、だんだん会う機会もなくなった。就職で彼が上京してきたあとも、会ったことはなかった。というより知らなかった。

ずいぶん長いブランクがあって、再会したのは小学校の同窓会の場でだった。私が10年ぶりに出かけてみたら彼が来ていて、リタイアしたのでUターンの準備をしていると話していた。私は先に地元に戻っていた。

その後、彼の引っ越し先を訪ねることがあった。私が潰瘍性大腸炎になり、この先どうしたものか不安になっていたとき、彼の奥さんが同じ病気のベテランと聞き、なにかと丁寧な助言を受け、理解が進んだ。

彼の新宅はゴルフ場から5分の立地にあり、そのために選んだのか、年に130回も通う熱の入れようだ。調子がいいと70台のスコアで回る。去年はホールインワンをしたらしい。小学校の時は鈍足で、運動会を嫌がっていたのに。当時私は、花形のリレー選手だったが、いまやどのスポーツにも見せ場がない。どこで運命が入れ替わったのか。

今年は2月に男女8人でフィリピンまで行って、4泊5日のゴルフ三昧だったとメールが来た。同じ大学、同じワンダーフォーゲル部だった奥さんもゴルフをやるというから、仲良く夫婦で行ったのかもしれない。その頃私はといえば、会社の年度末の準備に気を取られ、メールが来たことも気がつかなかった。

はた目には悠々自適を絵に描いたような第2の人生に映るが、勝手気ままに飛び跳ねている風でも、にぎやかに開放満喫のし放題のようでもない。むしろいつも地味に同じ調子で変わりなく、羽目をはずすこともはしゃいで笑うところも見たことがない。どこかで自分にきっちりと自制をかけているようにさえ見える。

だから、彼が狂歌で見せるようなウイットや風刺を利かせた一面を、会話のやり取りの中から引き出すことはできず、大して面白くない。。話を弾ませようと、つい自制が利かずに失敗する私とは、どこがどう違うのだろうか。

ゾンビのホームパーティ
2018/03/21

高校時代のクラス会の案内が来て、出席で返事を出したが、開宴が土曜の夜5時半となっている。私は朝晩7時に糖尿病の愛犬にインスリンの注射を打っているから、会場に駆けつける頃には宴は終わっている。注射を1時間早めても大差ないので、あらためて欠席の連絡を入れた。

会が終わって2、3日したら、幹事のA君から当日の写真が送られてきた。お礼のメールをと思ったが、ショックを受けて書く気になれない。どの顔もみんなじいさんで、そりゃ同じ歳だから当たり前だし、昔のままのはずはないが、それにしてもあいつもこいつも別人のような変わりようで、これじゃあどこかの老人ホームか介護施設のホームパーティと区別がつかない。中にはゾンビになりかけみたいなのもいて、痛々しさを通り越して、ちょっと怖い。

なにかと心配りの行き届くA君は、だれだか分からないと困るだろうと、卒業アルバムから写し撮った昔の顔写真と新旧並べたものも用意してくれた。これが私の心に追い討ちをかけ、ダメージを広げる。昔の写真で昔がよみがえる。そうだこれがあいつだ。間違いない。それなのに、なんでここまでこうなっちゃうのか。もう少しなんとかならなかったのか。ということはつまり、私もだれかにそう思われているに違いない。

男子校でよかったと思う。クラスの憧れの君やマドンナがいたら、「青いレモンの味」のまま、しっかり思い出の中に閉じ込めておくのがよい。再会などとんでもない。「恋は不思議ね、消えたはずの灰の中からなぜに燃える」のは歌の中の話で、不思議ねもなぜにもクソもない。

クソといえば、介護老人も赤ちゃんも同じオムツをしながら、世話をする側の気持ちがまるで違う。無限の未来に包まれた赤ちゃんには、日々の成長に目を見張り、寄り添い手を差し伸べる者の言い知れない喜びがある。一方、介護老人の未来は細るばかりで、遅かれ早かれの終末期。長引けは世話がやけて厄介だろう、と世話される方も肩身が狭い。

70まで大過なく元気で生きて来られたら、もうそれ以上は、アンチエイジングなどとわがままを言ってはいけない。長生きもほどほどがよい。

 
みんな知ってて言えないこと
2018/03/10

3週前の本欄「ツギハギ行政」で「怪しげな国税庁長官を、まずつまみ出さないと」と書いたら、ほんとにそうなった。もちろん私の「おまじない」が効いたわけではない。本人の辞任願いに基づくものということになっているが、森友問題がだんだん大ごとになってきたので、財務省が詰め腹を切らせたのは見え透いている。

そもそもこの森友問題は、表面化した1年前からずっと真相は見え見えなのに、官邸の往生際が悪く、ずるずる引きずってここまで来た。麻生財務相の会見では、佐川前長官の理財局長当時の対応を辞任(事実上の更迭)の理由にしているが、総理の意向、官邸の指図がなければ、理財局長が並々ならぬ決意で、知らぬ存ぜぬのウソの国会答弁を繰り返し、貫き通す理由がどこにあるのか。

個人の問題として罪をなすりつけておいて、そのくせ国税庁長官任命は適材適所だったと、財務相も総理も自分にはどこまでも火の粉がかからぬよう細心の注意、あるいはツラの皮の厚さ。

いくら見え見えでも言いぬけ通せば勝ち、というしたたかさは、理財局長当時の国会答弁のときに感じたことだった。カエルのツラに水、いやションベンをかけられても動じない。このくらいしぶとくなければ高級官僚にはなれないんだな、と私は感心さえした。忠誠を誓うことによって長官の座が転がり込んだ、いや、“役目”を全うすれば長官にしてやると約束されたのかもしれない。情勢がおかしくなって、哀れトカゲのシッポ切り。

籠池夫妻はこのままずっと口封じしておけばよいし、高級官僚、いざとなると木っ端役人の首をひとつ飛ばしてすむなら、お安い御用だ。そういえば、加計問題でも前川前文部事務次官の告発をうやむやにして葬り去った。

手に入れた権力は、醜態をさらしても絶対手離さない。卑しいやつらだ。これが「必殺仕事人」のドラマなら、これからいよいよテーマソングに乗ってヤマ場を迎えるところだ。ただし、このドラマは最初から黒幕が分かっているので、意外性を期待できない。

束の間の栄転後、見捨てられ、転落した木っ端役人は、自分の人生をどう納得させるのだろう。自殺した部下に比べれば、命があるだけでもずっとまし、と慰めるのか。いっそ、真相のすべてをぶちまけたら、話題騒然、痛快無比のノンフィクションドラマに仕立て上がるのに。

アリかキリギリスか
2018/03/02

イソップ寓話の中に「アリとキリギリス」という話がある。夏の間、勤勉なアリはせっせと働いて食糧を蓄える。遊び好きのキリギリスは、一日中音楽を奏でて楽しんでいた。冬になって食べ物がなくなり、アリに助けを求めるが、断られて死に絶える、というのがオリジナル版。食糧を分けてもらって助かる話ものちにできた。

寓話だから働き者がマルで、怠け者がバツの教訓を残せばすむ話だが、人間の考え方や行動はそう単純に二分できるものではない。学校では「よく学び、よく遊べ」なんて調子のよいことをいう教師もいた。

さらに、格差社会ともなると、夏も冬も必死に働いてやっと糊口をしのぐアリ型境遇と、年中遊んで暮らしているキリギリス型生活が並存している現実がある。

イソップにケチをつけたいわけではない。そうせざるを得ない場合でも、そうしなくてもよい場合でもなく、それでもせっせと働く人と、できればなるべくラクをしたい人とがいて、さてどちらが幸せなんだろうかという話を考えてみた。

近ごろは過剰労働や過労死が常に問題視されるようになり、仕事中毒だのワーカホリックだのという言葉は死語になったが、かつてはそこに自負や敬意を交えて語られる時代があった。仕事第一、仕事こそわが命という人は今でも少なからずいる。

彼らは自分の仕事に誇りを持ち、他に代えがたい充実感を感じているので、なんらかの事情で取り上げられてしまうと、生きる目標を見失って、抜け殻のようになってしまうことがある。燃え尽き症候群などと呼ぶ。アリからキリギリスへの変身は、ラクになれるようでなかなかむずかしい。

これとは逆に、日ごろはあまりムリをせず、ほどほどの手抜きでそこそこ居心地のよい生き方をしてきた人が、不治の病で余命半年と宣告されたとたん、なんであれ強い使命感に動かされ、命が尽きるぎりぎりまで取り付かれたように打ち込む姿もしばしば見受ける。見ていて悲壮で、幸せかどうか軽々しくは言えないが、少なくとも本人はキリギリスからアリへの変身を自ら望んだことになる。

アリはアリのまま、キリギリスはキリギリスのまま、自分らしく一生を終えられたら幸せなのだろうが、人の一生は途中で何が起こるか分からない。人間万事塞翁が馬と心得て、運命に逆らわず、潮目に身を任せるのが上策なのだろう。不運でも、不器用でも、その人なりにやりようはある。

ツギハギ行政
2018/02/20

政府の閣僚会議で、公務員の定年を段階的に65歳に延長引き上げる方針を決めた。2021年度にも着手の見通しだが、当然、民間に右へならえへの波及を促すことになる。遅かれ早かれの既定路線で、頃合いを見て切り出してきた。

すべての人が意欲や能力に応じて働ける一億総活躍社会、などときれいごとを言っているが、要するに破綻寸前の年金制度の帳尻あわせにすぎない。現行の年金受給開始年齢を引き上げてゆくと、60歳定年では退職後から支給までの間に空白ができる。だから就労を延ばしてこの穴を埋めようという単純な話だ。だれがこんな事態を招いたのか。議員定数や議員報酬の大幅カットにはどこまでも抵抗する、いじましい人たちが考えそうなことだ。

現行、年金受給開始年齢は原則65歳で、60〜70歳の範囲で選べるが、早めれば受取額を減額、遅らせると増額になる。これをさらに70歳以上を選べばさらに上乗せする改正案も上げている。目立たないように、ズル、ズル、と引き上げる。「だるまさんが転んだ」作戦とでも呼んでやるとよい。

元気なうちはいつまでも働いたらよい、と思う。やることがなくなって無為徒食の老後や、暇を埋めるのに汲々とする生活より、現役でまだ必要だと期待されるほうが、張り合いもあってずっとよい。しかしことはそう簡単ではない。

どの家庭でも起こりうる介護問題。働き盛りの50代で親の介護のために仕事を辞める、60代、70代で老老介護に疲れ果てて無理心中をする、という深刻な事態が当たり前に起きているのに、国は支援制度も整わぬまま、できるだけ在宅介護をと押し付けている。ここでも貧困な社会保障制度が露呈している。

さらに、高齢者雇用が優先されれば、若年者の就労が閉ざされ、企業は世代交代による新陳代謝が停滞し、国の活力がますます失われてゆく。かつて先進技術を蓄えて輝いていた企業も、過去の遺産を切り売りして疲弊している。

国が借金まみれなんだからしょうがねえだろう、と言いながら、借金を返す気が全然ない。借金返済には消費税増税しかないと迫られても、いざとなると選挙が怖くて目くらましのバラマキ作戦でかわしにかかる。失われた20年の次は、その場しのぎのお手上げ20年か。


必要な増税はすればよい。問題なのは税の使い道だ。官僚の天下りやモリカケに横流ししてとぼけている場合ではなかろう。
北欧のような先進福祉国家といわないまでも、国民皆保険による日本の医療保障や年金制度は世界に誇れるすばらしいものだった。もう一度、一から出直す気で、長期の国家戦略をしっかり立て、税金をまじめに使って欲しい。

原罪の自覚と自戒
2018/02/13

シカゴに留学中の娘から、ベジタリアンをどう思うか、とラインで質問が来た。イギリス人の男友達がベジタリアンで、それ以外にもそれ系の友達が何人かいるようだ。

どう思うかと聞かれても、キャベツやニンジンばかりかじっているウサギのイメージしか浮かんでこない。生肉にかぶりついて口の周りを血だらけにしているよりはマシかと思うが、どちらにせよ偏食はよくないだろう。というぐらいのつもりでいたが、娘のラインを読んでいると、これは趣味嗜好というよりも主義主張のようで、娘がウサギになっても困るので、ベジタリアンなるものをちょっと調べてみた。

ひとくちにベジタリアンといっても、その主義は多様で、動物肉や魚介類はダメだが卵、乳製品、蜂蜜は許容したり、それもダメだったり、さらに革製品、絹、ウール、真珠もダメというのもあって、それぞれラクト・オボ・ベジタリアンだのヴィーガンだのと呼び名がついている。動物肉はいけないが魚介類はよいというセミ・ベジタリアンや、植物も制限するマクロビオティックなんてのもある。

理由もさまざまで、宗教的立場からは殺生戒、倫理的には家畜に過酷な工場畜産システム、健康上では肉食による生活習慣病や認知症のリスクを上げている。環境保護からは、牛肉1キロを生産するのに11キロの穀物を必要とし、食糧自給率ばかりか、飼料の生産のために消費される化石燃料や水資源に問題ありとする。

指摘はひとつひとつもっともだが、では牛肉、豚肉を食わなければ、少なくともその人の問題は解決したことになるのだろうか。自然界は食物連鎖のもとに成り立っている。人間もまた、心ならずも他の生き物の命を犠牲にしなければ生きてゆけない。それを避けがたい原罪と呼ぶなら、連鎖から部分的にはずれることによって自分は罪を免れると思う方が、問題ではないか。

彼らに免罪という認識はないだろう。しかし、牛豚はダメだが魚はよい、魚もダメだが野菜はよい、という線引きに、自分で決めた免責がある。逆に言えば、牛豚はよいが、なぜ鯨やイルカはダメなのか。反捕鯨団体は、鯨は頭のよい哺乳動物なんだと主張する。自分に近いものを優性、遠いものを劣性に位置づける考え方こそ、国家や民族、人種の間で偏見や差別、虐殺や侵略を繰り返し生んできた。

生態系の頂点に立ち、やりたい放題にやりすぎてきた人間の営みに、ベジタリアンが警鐘を鳴らしているのも事実だが、食べ物に主義主張を持ち込むのはムリがあり、ひとつ間違うと独善の正義に転ずる危うさがある。

ベジタリアンであろうとなかろうと、原罪の自覚と自戒を忘れないこと、これがまず先ではないか。

新刊新書の「定年後」バトル 3
2018/02/06

さて2冊の指南書の間で、私はどう泳いだらよいか。仕事は当分辞めないにしても、だんだん減らしてゆけば暇ができる。寝覚めの早い睡眠障害があり、眠けりゃ昼寝でよいが、眠くないときもある。退屈なのも困るので、やはりなにか始めたくなる。

習字はどうか。会社が来年80周年を迎えるので、企業理念を入れたモニュメントを制作する計画でいる。企業理念は長文なので、その超コンパクト版もある。「如是我聞――森羅万象に生かされ、志をもって一隅を担う」。これを書家に書いてもらえば世話がないが、暇なら練習して自筆にしてもよい。

後進に伝える言葉を残すのは、銅像を残すような悪趣味ではなかろう。もっとも、何年かしたら邪魔物扱いされて、倉庫に放り込まれないとも限らない。生々流転の無常の世に、思いを込めてなにかしら遺すと、かえってやらずもがなの結末を招くこともある。

ストレッチと筋トレ。いつまでも元気で長生きしたいなどと欲の深いことは願っていない。老衰で時期が来れば、自宅で穏やかに自然死したい。自然死とはつまり、食べられなくなれば点滴も胃ろうも人工の栄養補給もせず、食わず飲まず医者にいじられず、緩和ケア以外は放っておかれてくたばりたい。そのためには、なにかのはずみで救急車を呼ばれ、病院に運び込まれない程度の体力の維持がいる。とはいうものの、トレーニングジムは、おととし10月に始め、2カ月経って寒くなったらおっくうになりやめた前科がある。

体を動かすのは嫌いだが、口はよく動く。英語のカラオケ教室はどうだろう。読むより書く、聞くより話す、つまりアウトプットの方が好きなので、いいかもしれない。おしゃべりするなら英会話教室でもよいが、英字新聞の記事を宿題に出され、翌週討論という授業なんかだと、大して関心のない記事を読まされたりもするので、もうそこまでがまんしたくない。

ジャズやソウルの好きな曲を選んで歌い込めば、楽しいだろうと思う。だが、よく考えると発表の場がない。今でも、たまに「マイウエイ」なんかを歌うと、店の中がちょっと鼻白んでビミョウな空気になる。そんな歌を、うれしそうに人前で何曲も歌おうものなら、「あいつ、かぶれちゃってるな」と鼻つまみ者にされるに決まっている。

料理教室。学生時代に自炊をしていたことがあるから、料理は一応できるが、もっと腕を上げてうまいものを作りたい。男も家事ぐらいこなせないと、ひとりになったとき難儀をする。クックパッドで間に合えば、わざわざ出かける手間もいらないが、こういう教室だと同好の酒飲み仲間ができるかもしれない。

いろいろ思いつくのは楽しい。実行するかどうかは疑わしいが、思いつくだけで退屈しのぎになる。地図を見ながら旅行した気分になるようなものか。「定年後」支持でもあり「定年バカ」支持でもあり。

寿命というタイムリミットに現実味を帯びて向かい合う年齢なのに、そのタイムリミットがいつ来るのか分からない。数年先か、まだ20年も先なのか。一生のうちで先の見当が一番つけにくいゾーンに入っている。3年先まで見て、3年経ったらまた考えよう。(おわり)

新刊新書の「定年後」バトル 2
2018/01/31

歌の世界にアンサーソングという新曲の出し方がある。ヒット曲が出ると、余勢を駆って続編を作るやり方で、古くは若原一郎が「おーい中村君」を歌ってはやったので「アイヨ何だい三郎君」で2匹目のどじょうを狙った。そのあと深追いして「あれからどうした中村君」を出したが、さすがに飽きられてヒットしなかった。

そんな昔に遡らなくても、ペドロアンドカプリシャスの「ジョニィへの伝言」と「五番街のマリーへ」、さだまさしの「関白宣言」と「関白失脚」も同じ歌手が先行曲のその後を歌った。中森明菜の「少女A」に五月みどりが「熟女B」を歌ったのは、パロディというほどでもないが、まあ人のふんどしで罪のないおふざけをちょっとしてみたといったところか。

「定年バカ」は様相が違う。「定年後」だけでなく、その他の定年本もつぎつぎと引っ張り出して右に左にメッタ切りにしている。最初はちょっとやりすぎではと思ったが、読みなれてくるとつい吹き出して笑ってしまう。著者はどうもかなりへそ曲がりの人のようで、本気でむかついているのだが、からかいながら笑いのめしてうっぷん晴らしをしたいらしい。槍玉に挙げられた人には気の毒だが、毒づき、悪態をつくのが充分鑑賞に堪え、結構楽しめる。

「『充実した暮らし』とはどんな暮らしのことなのか。たとえばそれが、死ぬまでお金の心配がなく、心身ともに健康になんの不安もなく、家族がみんなうまくいっていて、社会貢献できる仕事をもち、趣味も多彩で、信頼できる友人たちに恵まれている、といった理想的な状態のことだとしたら、ほとんどの人は望むべくもないことだ。世の中にはそんな人がいるのだろうが(中略)なんの参考にもなりはしない」

「なにもしていない人間といっても、朝起きてから夜寝るまで、居間にじっと座って、テレビもつけず、一日中虚空を見つづけているという人間などいるはずがない(中略)なにかはするのである。だから(中略)ほっといてやれよ、と思う」

「形だけもっともらしい正しさや、口先だけの無責任な一般論は、一人ひとりの生活に届かない」「せめて人並みにとか、充実した生活をとか、一度かぎりの人生だから楽しまなければ損だとか、そんな出来合いの観念に引きずられすぎてはおもしろくない。わたしたちは『自分自身の意思』によって好きにすればいいし、好きにするしかないのである」

要するに著者は、テレビを見ようが、図書館でぼんやりしていようが、公園で口を開けていようが、本人の好き勝手にしたらいい、自分の老後を「なにもしていない」などと人にとやかく言われてジタバタするな、と言いたいのだ。別に卓見でも高説でもないが、そうとも言えるなという気になる。こちらも初版1カ月で4刷の売れ行き。

年寄り本ブームはまだまだ続きそうだ。(つづく)

新刊新書の「定年後」バトル 1
2018/01/25

新聞を広げて新刊本の広告を眺めていると、高齢者向けのハウツー物がつぎつぎ出ているのに気づく。ここ2、3週間でも「おひとりさまの豊かな老後」「一流の老人」「老人の取り扱い説明書」「認知症にならない『脳活性ノート』」「老後はひとり暮らしが幸せ」」「孤独のすすめ」、年齢を刻んだ「人生は70歳からが一番面白い」「はじめての八十歳」「百歳人生を生きるヒント」「100歳の生きじたく」、さらには「死に支度」や「身近な人が亡くなられた後の手続きのすべて」なんてのまである。

かつてどの国も経験したことのない超高齢化社会を迎えた日本で本を売ろうと思えば、こうなるのももっともだが、団塊の世代が定年を迎え、前期高齢者にすっぽりとはまったタイミングが、いっそう勢いをつけている。世代ボリュームが社会に与える影響は大きい。団塊の世代は、そう名づけられてからずっと世相を形作り続けてきた。

私は、できれば死ぬまで仕事を続けるつもりでいたが、頭も体もすこしずつ弱ってくるとそうも行かくなる、と最近になって感じるようになった。さてそうなると、5年も10年も前にリタイアした同年代の人たちが、どんなふうに暮らし、どんな問題を抱えているのか知りたくて発刊3カ月で12版を重ねた新書「定年後」(中公新書刊。楠木新著)を読んでみた。

プロローグからいきなり驚く。手回しのよい会社では、社員が50代になると定年後に向けてライフプラン研修を開くのだそうだ。その内容がどのセミナーでも@受け取る年金額をきちんと計算して老後の試算を管理することA今後長く暮らすことになる配偶者と良好な関係を築くことBこれから老年期に入るので自分の体調面、健康にも充分留意することC退職後は自由な時間が生まれるので趣味を持たないといけない―とおおむね決まっているらしい。

ところがそううまくいくかというと、現実には充実の老後というにはほど遠く、こんな指摘も引用している。「とにかく朝起きて夜寝るまで何もやることがない。友達もいない。電話をかける相手もいない。これでは生きていることがむなしくて仕方がなくなる。それはある意味、死ぬほどつらいことですよ。(中略)むなしくて病気になるのです」

会社人間が準備もなく会社を辞めると、社会から孤立し居場所さえ失ってしまう。図書館やショッピングセンター、ひとりカラオケで暇つぶしをするのでなく、生きがいのある輝く第2の人生を築くには、資産管理、雇用延長や転身、健康維持、人づき合い、社会貢献、居場所探し、あれやこれやを……というわけだ。

そういうもんかと読み終わったら、数日後の新聞の新刊広告で「定年バカ」(SB新書。勢古浩爾著)が目についた。身もフタもない書名も書名だが、そのオビに「ベストセラー『定年後』に影響されて、充実した定年後にしなきゃと急かされない!」とキャッチコピーがある。こんなにストレートに名指しで反論をぶつけた本も珍しい。これはどうしても読んでみたくなる。(つづく)

それでもそろそろ4冊目?
2018/01/19

ブログに掲載した話をまとめて3冊目の本を出してから3年半になる。ブログはその後も継続しているから、また溜まってくる。150話も書けば、1話1000字見当で15万字。時事ネタのように賞味期限のもたないものなどを除いても、7割残せばまた本になる。

本にする以上は読んでもらいたいから、最初の「虫瞰の風景」は出版社―取次店―書店を通して販売に力を入れた。当時私は東京郊外で地域紙を発行していたから、講演を頼まれたついでに即売会を開いて手売りするなどした。ところがこの出版社が、販売条件をあとから勝手に変えたのでトラブルになった。

それに嫌気が差して次の「一隅にも五分の魂」は自分の新聞社を発行元にした。3冊目の「右も左もウオッチング」の時は、私が現在の会社に移っており、発売元のISBNコードを取得してアマゾン扱いで流通に乗せた。

どの売り方も思ったほどは売れなかった。本の売れ行きは著者の知名度や宣伝で決まる。本は中身を読んでから買うわけではない。たとえばタレント本なら、中身なんかどうでも、ゴーストライターがタレントの名前で書いて売りさばく。当たり外れの大きい出版業界で、それでなくても出版不況のこの時代、一定量の売上が見込めるこのやり方は手堅い商法だ。

図書館のほか、知人や友人などに贈呈したりもした。反応はいろいろで、高校時代の同級生に1冊目をあげるよと渡したら「本を冒涜するな。ちゃんと買う」と言い、さらに「エッセイなどは滅多に読まない娘がとても面白がって読んだ」と読後の好感を伝えてきたのに、2冊目の時は、話に登場する「Aさん」とはあいつのことだろう、とモデルの取り上げ方にクレームをつけてきた。2、3の仲間うちで物議を醸したようだ。

たしかにAさんはあいつで、同級生が読めは容易に見当がつく。しかし同級生向けの暴露本などでは元よりない。私はAさんの生き方に人間の本質の一面が興味深く表出しているのを、切り取って見せたのであって、それが実在のだれであるかが問題なのではない。クレームをつけた彼は国立大学の元教授で、結構理屈っぽいが、芸能誌のうわさ話をあれこれ詮索し合うような読み方もするんだなと、意外な一面が発見できて面白かった。こんなことを書くとまた物議を醸す。

摩訶不思議な人間の営みを観察し、解釈を試みるのは私のライフワークのひとつで、同級生を身近な素材として時に取り上げることは今後もあるが、趣味や暇つぶしで書いているわけではない。書かれ方によっては相手にとって迷惑でも、筆禍を気にして毒にも薬にもならないことを書くぐらいなら、最初から書かないほうがよい。実名を出したことは一度もなく、そういう配慮はきちんとしている。

大して売れもしないのに、手間をかけて本を出し、思わぬ問題が起きる。それでもまた本を出す。人生とはそういうわけの分からないもののようだ。

マナーの境界
2018/01/10

夏はノーネクタイ、というスタイルが、ビジネスの世界で定着した。炎天下、汗だくになりながら、着ることのない上着を関所手形のように持ち、「手抜きせずしっかり仕事していますアピール」を一斉にしていた時代は、そう遠い昔ではない。

一気に浸透したのは、官公庁や銀行の率先励行が大きい。省エネのため館内や会場の冷房を緩めにし、会議や会合に民間企業や取引先を呼ぶときは「ネクタイ不要。軽装でご出席ください」と案内状に付け加えた。最初は「まさかそんなわけにもゆくまい」と半信半疑だった企業サイドも、そこまではっきり言ってくれるならと安心して、あっちもこっちも違和感のない風景に変わった。

いまのところネクタイ省略は公認だが、上着省略までは及んでない。いずれポロシャツOKに進むのかどうか。「Tシャツ、半ズボンはご遠慮ください」にしておけは格好はつく。

夏が過ぎ、秋になってもまだ暑い。10月中はよいとして、11月ともなるとさすがに省エネとの大義は通らなくなるが、人間一度ラクをしてしまうと、再び自分の首を絞めようかという気になかなかならない。授賞式の晴れ舞台とか、ドレスコードがあるような場面では、マナーを守ってシャキッとするのがよかろうが、それは常ではない特別な時に限られる。暑いときに見慣れて違和感がなくなれば、寒いときも同じでいいだろう、と思いたくなる。

そういう不届き者がちらほらいて、私もそのうちの1人だ。ネクタイを結ぶのはもともとうまくもないし、手間取って面倒なので冬になってもなるべくパスしてすます。

実は靴も、ビジネスシューズからウオーキングシューズに代えた。ウオーキングといっても黒革のひも付きで、見たところ遜色はない(と思っている)。軽くてソフトで事のほか履き心地がよい。

足許はよく目立つ、人は足許を見て判断すると言う人もいるので、「おや、運動靴なんかを履いていやあがる」とひと目で見破る人もいるかもしれない。私は他人がどんな靴を履いているのか気にしたことがないが、人によっては違和感や不快感を覚えるのだろうか。

見かけや身だしなみにはあまり頓着しないが、音を立ててスープをすする人はひどく気になる。美意識は人さまざまなこだわりなので、ここから先はダメというマナーの境界を定めて共有化するのは難しい。

お正月 昔と今
2018/01/05

家庭の正月の迎え方過ごし方も、世代交代とともに変わってゆく。

私が子どものころ、昭和半ばの正月は一大イベントの趣きがあった。元日の朝、父は6時に起きて仏壇と神棚にお参りをし、般若心経を唱える間、子どもは正座して後ろに並んだ。そのあと、床の間を背にした父が、一同を前にひとしきり年頭の訓示を垂れる。それから朝食になるが、おせち料理はほとんどすべて年末に家庭で用意し、子どもも手伝った。

年末といえば、大掃除は家中の畳を上げてほこりを叩き、床屋へ行って頭を小ざっぱりとし、年越しそば、紅白歌合戦。そばを食べるのは、炊いた米を残して年を越さないこと、また細く長く平穏な暮らしの願いを込めて。おせちは、毎日の炊事からせめて正月の間は主婦を解放するため、また海老は長寿、数の子は子沢山、なますはめでたい紅白、黒豆はマメに働く、とかいった縁起を込めいて、と母が解説を加えた。たぶん母も祖母から同じように教わったのだろう。

おせち作りを手抜きし、買ってすませるようになり始めたのは昭和の後半からだろうか。その後この流れはどんどん勢いを増して、いまでは一流料理店の特製からコンビ二製まで百花繚乱の盛況だ。

年頭のあいさつは、私が家庭を持って子どもが小さかった頃は全員を揃えて話したが、大きくなるにつれてバラバラに起きてくるからやれなくなった。仏壇、神棚はそもそもなく、元旦の読経もなし。子どもたちはあとから起きてきて、お年玉の請求だけは決して忘れない。

年末の大掃除は、寒いので、きれいにしてもどうせまた汚れると、形ばかりの1、2時間。床屋のおやじも「年末だからといってふだんと変わらないね。昔はやってもやっても終わらなかったけどね」。コンビ二のパスタが年越しそばの代わりとして売れる。細く長くには違いないけれど。年賀状もスマホ代用で大打撃に違いない。

今年の正月は、夫婦に子ども4人、嫁2人、孫5人で計13人。にぎやかに集まるのはおめでたいが、孫がまだ幼児乳児でちゃかちゃかしたり泣き喚いたりで、落ち着かない。ワッと集まって1泊で帰って行くのに、妻は張り切ってあれこれ過剰に世話を焼き、引き上げて行った後、案の定疲れが出て機嫌が悪い。こっちはとんだとばっちりだ。

年末年始の休みは長いので、その半分ぐらいはこれまで仕事を家に持ち込んで片付けていたが、今回は一切やらなかった。おかげで本3冊とゴルフを2回、飲み会2回に犬の世話もできた。

特別にできるから楽しいのだろうけど、仕事モードに戻るのが大変だ。